ショート・ショート
次の五月の文学フリマにも寄稿をするつもりなのですがその締切が二月末で、ん? 意外と悠長に構えていられないのでは??? となっております。
小説を書くというのは産みの苦しみで、いざ筆を執っても書き始められるものではなく、noteに書き出し部分を思いついたときに書き散らかしているのですが、その先が思い浮かばずに宙ぶらりんになることがよくあります。
そんないつか小説になるやもわからぬ幼虫たち、サナギたちをそのまま死なせてしまうのは本意ではないなと今回そのまま出してみることにしました。
昨今のYouTube ShortsやTikTokに通ずるような薄いコンテンツですが、その先の物語を読者に委ねるというのも乙やなぁと思いつつ。この中から次の小説が生まれるなら試し読みにもなるよなぁと思いつつ。
以下、創作です。
目を閉じてノイズキャンセリングをオンにしたまま、こぽこぽとうがいをすると、自分が水底に沈んでいくような感覚がする。
ノタリノタリと沈んでいく。
私が吐き出す泡に魚たちが包まれ、死ぬ。
光が徐々に失われ、肺が真空パックのようにへばりつき、もたりと水底に体を斃す頃に、目をカッと見開き、うがい薬を吐き出す。咳き込み、喘ぐように肩で息をする。
私は、私が死ぬことを望みながらこうしてうがい薬で殺菌をする。心臓が止まればいいと望みながらどうしても息をする。
私は儘ならなさに住まう人魚。
彼女は私をそこから連れ出して、突き放した王子様。
あの魔女のような男さえいなければ。
ぬるいねむりから醒めると、識くんはもう家を出たようだった。
桜の香りのする風にカーテンが揺蕩う。
マホガニー合板の丸テーブルの上に近くのスーパーのプライベートブランドのラップがかけられたスクランブルエッグとベーコンとレタスとトマトが置いてある。
識くんはミニトマトが嫌いだから大きいトマトを八分の一にカットしたものを二つだ。
ラップの端がペラペラと揺れる。
それと一緒に添えられたチェキを見る。
朝日を反射するカトラリーの写真だ。陰影が綺麗だ。
写真を見るに、識くんは穏やかな朝を迎えたのだろう。
私たちの共通言語は写真なのだ。
まよなか、月の光が入らない部屋で電気を消して、目が慣れるまでのあの真っ暗なしあわせに手を伸ばすと、わたしの輪郭が消えて、夜と一緒になれる。
わたしのしあわせはその時間だけ。
わたしは羊の代わりにわたしのダメなところを数える。
だってきりがないし。その全部がお母さんお父さんお兄ちゃん、先生、マナちゃんレイナちゃんジュリアちゃんからのおすみつき。きっとあそこのおじさん家のワンちゃんだってわたしのことをわらってる。
ぶさいく。うんどうおんち。服がお下がり。
ああ、眠たくなってきた。
キモい。デブ。ビンボー。
まぶたがおもい。
わたしはなんかブラクってやつらしい。だからこんな目にあってるってレイナちゃんのお母さんが言ってたの聞いちゃった。
わたしはなにもしてないのに。
「あーあ、ずっとまよなかでいいのになぁ」
わたしはそう独りごちた。
すると、どこからともなくぶわりと吹いた風を孕んだカーテンが月影を招き入れ、わたしの影を映した。
わたしより大きな背丈の影はケタケタと笑い、ささやいた。
「あたしが真夜中のままにしてあげるよ。その間にあんたは復讐をするんだ。」
音の鳴る愛は掻き弾いても、私のためにはどうしても歌ってくれない。
五月九日 土曜日 晴れ
義憤には必ず自己満足が含まれる。
誰が為、世の為とする何かは結局我が身可愛さ故である。
今回はこのくらいで。
また書きます。
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