身体から気づく、意識の中にあるつぎはぎの体とは?
ボディーワークはおもしろい!という話をしていきます。初めにお伝えしておくと、ボディワークとは体のみではなく、心にも影響を与えるアプローチのことをいいます。そしてここでお話しするのはそのボディーワークの1種、ロルフィングというもの。コーチングの学びの過程で知りました。
コーチングを学んだり受けたりして、今まさに「身体性」というキーワードにアンテナが立っている人、ボディーワークに関心のある人、え!意識の中でつぎはぎって!?っと思った人にぜひ届いてほしい〜!と思ってます。
ロルフィングとは?
「重力との調和をゴールに、筋膜を始めとした結合組織に働きかけて、身体を統合するボディワークです。」というのが公式の説明です。私の体感では整体やマッサージを受けている感覚。痛気持ち良い。そして次の日の体の調子がとても良い。
ロルフィングの施術をする人をロルファー、施術をセッションと呼びます。セッション中はロルファーの方が、体を触っていて気づいたことを教えてくれたり、セッション後は宿題を出してくれたりします。コーチングみたいですね。
2回目のセッションが今のところ一番心に残っている体験でして、早くもぐんぐんと気持ちが上がっています!この高まりからもしかすると(いや、ほぼ間違いなく)2回目のセッションの語りだけで終わる予感が100%の見込みです。でもとっても話したいので思い残すことなくとことん話し切りたいと思います!noteでよかったね!
前回の記事はこちら
2回目のセッションで扱うテーマ:大地に根付いた足
いきなり恐ろしい表現をするけど、あくまでも私の頭の中の話で現実には切り刻まれているわけではありません。でもそれくらいインパクトがあった回でした。主に足首〜足先までのセッション。
まさに大地に触れている部分なんだけど、私はとても冷え性で、足首から先が冷えすぎて自分の体じゃないみたい!などとよく冗談で言っていて。
でもそれがセッションを通して「いや、頭の中では冗談抜きで足首から先が無くなってたのかも〜〜!」って衝撃を受けたんですよ、なぜなら足が本当に思ったように動かない。”意識が届かない”って感じかな。
突然ですが皆さん、足、動きますか?
私は足首動かしたり歩いたりとかは全然不自由がないんだけど、どんなに頑張っても足の指先はいも虫がもじもじしている感じにしかならないし、動かす時は全指同じ動きしかできない。「足の甲を丸めてください」と言われても「丸まる感じ」がそもそも分からない。
タオルを足でたぐって引き寄せるの分かります?「タオルギャザー」って言うらしいんですけど。あれ、タオル微動だにしないんですよ私。どんなにやっても足指がもじもじするだけなの。本気でやってますか?ってコミットメントの確認されるくらいなの(いつでも本気ですよ!)。ぜひ皆さんもトライしてみてほしい。
あるとき友人にこれを話して一緒にやってみたところ、友人の足は本当にすごくて、ぐわっし!ぐわっし!って足の甲から動いてて、秒でタオルをゲットしてました。
マジ?むしろこんなに足って動くの!?いや、こんな躍動感ある足ある!?!?って衝撃を受けて、人の体ってすげーってなりました。なお言うまでもなく隣で私の足は足指がもじもじしてましたね。ギャップ、、、。
さて、こんなに足に着目したことありますか?私はないです。そう、ここでやっと気づきます。どれだけ意識が届くかが可動レベルを上げていくんだということを。
たとえばダンスなどの身体表現をしている人たちの体への意識は、広さ、深さ、共に比較にならないくらい行き届いているから、あれだけの動きができるし(きっと体を超えてその空間、まであるのでしょうね!)、端々に意識が行き届いているからこそ、そこに感情やストーリーを載せていけるのだと思いました。
つぎはぎの体を繋ぎ直していくこと
今、足が意識の中にないと気づいたけど、きっと他にも意識にない部分があるなと思うわけです。前回のセッションでも、きっと他にも無意識の枠組みに捕われて自分の本来持っている半分も発揮できないことありそうだという気づきがあって。
本来の半分だけ、体は部分だけ、でも自分は気づいていないしその状態でなんとかしようととても頑張っている。気づいているところだけ歪に力が入る。
ロルフィングは体の統合、本来持つべきバランスを取り戻すことを目指しているボディーワークですが、こう言った意識の中で部分でつぎはぎになっているところを体の方から丁寧に繋いでいってくれるのかもなって思いました。ないと思ってたけどあるじゃん!という少しずつの変化を生み出してくれるのかもな〜と私は意味づけています。
そしてセッション後は、足が戻ってきたー!ってなりました。パチパチ。もちろん動きがすぐ変わるわけではないので、意識的に動かせるようになるには私自身が日々実践を積み重ねていくことが必要ですが、瞑想のボディスキャンなどで足の指先などへ意識を向ける時には、ちゃんとそこに足があるので安心しますね。
やばい、足の話だけで1,000文字超えてしまった。でも、続きます。
右足から出てきた「安心感」のイメージ
先日のつぶやきで触れた右足からでてきた安心感のイメージは、まさにこのセッション中の出来事だったんだけど、子供の頃に怪我をして今も少しその影響があることを伝えていたところ、右足と左足で関わり方を変えてくださっていて(左足は結構スパルタだった記憶)。
右足はなんかね、さわさわさわ〜〜〜って感覚が伝わってきたのを覚えている。これ皮膚上の摩擦の感覚じゃなくて、波立つ感じなの。心地よさのさざ波が足から伝わってくる感じ。その感覚にのって半分くらい眠っていたのかもしれないし、夢をみていたのかもしれないけど、2つのイメージがその時に残って。
1つはね、子どもがお昼寝している光景。夏の日、和室で子どもが扇風機に当たりながらお昼寝しているの。ゆらゆらするカーテンのレース。畳に落ちる影。太陽と畳のにおい。風がやわらかに扇風機から部屋の窓から、肌をやさしく撫でて通りすぎていく感じ。
今年のような猛暑じゃなくてね、サラッとした空気で少し汗ばみながらも心地よさがある。そこには他に人はいないのだけどちゃんと気配があって、子どもは心から信頼して全身をその世界に委ねて眠っているイメージ。
もう1つは、自分自身が仰向けに寝転がっているところ。海辺のような川辺のような、眩しく光に包まれたような真っ白なところで、肌に当たる砂のような何かはきめ細やかで粒が優しくて、そして水のような、でも冷たくも熱くもなくひたひたと耳に入らないくらいの浅瀬で、さわさわと背面に心地よくその水のようなものを感じているイメージ。
なんかこれらのイメージが浮かんだ時、右足に安心詰まってたわ〜ってなぜか思いました。これが世の中でいう「安心感」なんじゃないかって確信するくらい穏やかな感覚になる。だから寝る時などにこのイメージにとどまってみて、安心感を全身で感じてみるっていうのを時々やっています。
怪我をした方の足に安心感が詰まってたって、とてもおもしろい体験だなーって感じていて、今年に入ってコンパッションを学んだから思うことは、怪我をしたところへの手当てや家族や病院の方々から受けたコンパッションが体にも残っているのかもなということ。
そうだと素敵だな、記憶からなくなっても体が覚えている。そして、いつでもそれに再会することもできる。これは体が記憶することの良い面を見ていて、逆にそれによって苦しむことだってあるんだけども、常に多面的であることを忘れないでいたいです。
はー言いたいことは全部言えたんじゃなかろうか!このおもしろさ、伝われ〜!
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。話し切って結構満足しています。やはり予想通り2回目のセッションだけで終わってしまいました。残りをもう1回別の記事にまとめようと思います。
最後はね、大丈夫。いけるいける。
もしよかったら、また次回も読んでみてください。
それではまた。