支え
「支え」
この言葉を聞くたびに、胸の奥がもやっとする。
「結婚して夫を支えたい」
「妻に支えてもらいたい」
「離婚して子育て大変だったけど、今は子供たちが私の支えです」
支え、ってなんだろう。
サポーター?
主役にならない人?
私はこれまで「人を支えたい」という気持ちになったことがあるだろうか。
「支える」でイメージされる最たるものは、アスリートの妻だ。
(なぜ妻側だけなんだろう?といつも不思議に思う)
栄養学を一から学んで、カロリー計算された栄養満点の食事を作る。
夫が仕事に集中できるように、家事育児を一人で行う。
もはやプロだ。
それらの行為を無給で、自ら率先してやっている。もはや奇跡としか言いようがない。
なのに、世間ではそれを当たり前に扱い過ぎていないか?美徳に仕立て上げていないか?
つい最近までは結婚式のスピーチでも、夫の上司が「奥さんには新郎の○○くんをぜひ支えて頂いて〜」の言葉が乱舞していた。
今はどうなんだろう?
もちろん自発的に、自ら望んで「この人を支えたい!自分を犠牲にしても!」と思える人は素晴らしいし、ぜひそうしてあげてほしいし、止める理由は一つもない。
ただ、周りから強要されたり、そうせざるを得ない状況なのに、周囲がそれを当たり前のことや喜ばしいこととするのは、とても恐ろしいことだと思う。
「奉仕精神」「愛」と聞こえの良い言葉に変えてやってくる「支え」。
ドラマ「逃げ恥」でもテーマになっていた、愛情の搾取に近いものを感じる。
そんな「小賢しい」ことを考えずにふわーっと生きてゆく人の方が何百倍も生きやすいのだろうな、とも思う。