芸人が好きだ。③オードリー若林
最初は、オードリー若林が人見知りだというところに強く惹かれた。
自分もそうだからだ。
テレビに映る彼よりも、ラジオやエッセイの彼の方が本当だと感じた。
彼の本を全部買って読んだ。貪るように読んだ。
心から泣いて笑った。自分のことだと思った。誰よりも共感できた。
一緒に、社会と戦っている気になっていた。
リトルトゥースTシャツも買った。
武道館へは行けなかった。
モニタリングで泣いた。
春日事件後のオールナイトニッポンで、若林とクミさんの存在に改めて感謝した。
いつの間にか若林は、人見知りでも社会不適合者でもなくなっていた。
彼は、彼自身の経験を力にして、それらを乗り越えていた。
私は、勝手に、置いて行かれた気持ちになっていた。
ずっと「こちら側」で一緒に理不尽な社会と闘ってくれると、勝手に思い込んでいたのだ。
たりないふたりも大好きで、DVDも全部見て、ライブビューイングを映画館に見にも行った。
心の底から笑って泣いた。誰よりも共感した。
しかし、今やもう彼らは足りている側の人間だ。
結婚し、子供を持ち、家庭を作った。
不安定な世界とはいえ、芸能界での位置も確立している。
うつむいて歩いてはいない。
私は、あの時ほど、必死にラジオを聴かなくなった。
毎週欠かさず聴いているけれど、以前より心に刺さらなくなってしまった。
人の裏面、陰の部分に切り込むトークが毎週とても楽しみだった。
みじめな思いや恥ずかしい思いをしたことを、笑いで昇華してくれるからだ。
でも結婚後に「奥さんが」「子供が」の話が続くと、なぜかしょげてしまう。
なんでなんだろう?
自分の足りなさを突きつけられている気になるからだろうか?
自分は、人の幸せも喜べない心の狭い人間だと思ってしまうから?
でも、こうも思う。変わらない人はいない。
その時々で自分の楽しいものや嬉しいもの、大切なものは変わっていくんだと。変わっていっていいんだと。
私も成長しなくては…と思った。