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肘の怪我が、人生を変えてくれた 2

小学5年生で野球を始めた。地元で強豪の、少年野球ながら毎年都内でベスト8とか、優勝しているチームだった。

歳の離れた姉のバレーボール応援に親の付き添いで行ったりしていたから、僕が野球を始めたのは周りのみんなが4、5年野球を続けた後だった。

それまではバッティングセンターで元巨人の選手とか、大学生がバッティングを教えてくれるスクールみたいなものに通って、バッティングだけ練習していた。あとは親父とのキャッチボールで、たまにピッチャーの見よう見まねをして遊んでいたくらいだった。運動神経に相当自信があった自分は、野球をやっていた他の学校の選手よりよっぽどうまいと勘違いしていた。

野球チームに所属してから、おかんはよく、「見返してやろうね!」と、僕に声をかけてくれたし、親父は練習から帰るとマッサージや、ここはこうするべきだーとか、いろいろ教えてくれた。なにより二人とも毎練習、毎試合見に来てくれて、試合のビデオを全て撮ってくれていた。

ベンチにすら入れさせてもらえなずに泣きながら素振りもしたし、わけわからないくらい坂道ダッシュもしたし、長距離のランニングでは死に物狂いでアピールもした。もともと肩は強かったし、身長も高い方だったから、サウスポーということもあって野球では有利とされることが多かった。

そんな努力が実ってか、5年生の冬、6年生が引退した後は5番レフトで試合に出れるようになった。

新しいチームでもらった番号は「3」。思い返すと、この時から自分のラッキーナンバーは、ずっと3番なのだ。空いている駐車場があれば、迷わず3を選んで停める。


努力と運が重なり、信じられないほどのピンチを乗り越え夏の都大会を優勝した。その後、全国大会に向けて練習している最中に背番号3は左肘を骨折した。

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