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かっこよすぎて笑っちゃった

昨日のお酒が十九時前になってもまだ残っている。

ライブの開演まで時間がないので早歩きで会場に向かうと、胸がポンプのように膨らみ萎みを繰り返すのが目視できそうなくらい、胸部がバクバク脈を打つ。

抗えず、時間とともに平等にゆっくりと、あるいは突然にやってくる体の変化に、寂しい思いをする。



ほんのり汗ばんだほんのり二日酔いの女は、今日はワンドリンクをジンジャーエールか何かにしようと意気込んでカウンターに行ったのに、いざ自分の番が回ってくるとピック型のドリンクチケットを渡しながら「ハイネケンお願いします」と言ってしまった。惰性です。



もう会場は人がごった返してぎゅうぎゅう、私は会場内にぎりぎり入れずドアのストッパーになっていた。

どうしたもんかと思っていたら、人混みをパワーで掻き分け進む切り込み隊長の女性が現れた!姐御!

乗るしかないこのビッグウェーブに。彼女が掻き分けた余韻で低反発の枕のように凹んでいる人と人の隙間に体を捩じ込んだ。

タイミング、タイミングだよなあ、全てのことって。タイミングと兼ね合いが社会の構成要素なように思うことが多い。少し勇気がいることでもタイミングが来たら反射的に一歩踏み出していかないといけないのだろう。そうしたタイミングを私は今までいくつ逃して、いくつ掴んできたんだろうか。今日私が踏み出したのは起業する決断にとかプロポーズの承諾にとかじゃなくてただの人混みにだけどな。




私の後ろにもまだまだ観客はいて、スタッフが会場内の観客に一歩前へ出るよう促す。けれどその声は入り口付近の人にしか届いていないから、前方の客は微動だにせず、後方の客だけがうねるようにして前へ押し寄せてくる。その山の如く動かない前方と、火の如く侵掠してくる後方の、ちょうど狭間にいた私は、すり潰されるようにしてどんどん斜め前へと流されていく。

なんだかいつもこうなってるんじゃないかしら、と思いながら波に身を任せて流されていく。

物理的にもそうだけど、普段の生活でもそう。社会に、他人に、状況に、流され流され生きている。自然の摂理に抵抗しないオーガニックな女とでも呼んで欲しい。

でも流されるのって一概に悪いわけじゃないからな。流されてみて初めて思いもよらない素敵なところに辿り着いたりするし。流された人にしか見えない景色って必ずあるし。ね!



波が落ち着いて私の立ち位置も決まった頃に、やっとハイネケンをカシュ、と開けた。ライブはもう始まっている。betcover!!のツアー初日で、対バン相手としてpaioniaが来て先に演奏していた。初めて聴いたけれど、格好いいバンドだと思った。

paioniaのベースが空気を震わせるので、喉と胸の間くらいの、奥の奥の深いところを震源地として、ビリビリと地響きがしているような感覚になる。そこにハイネケンを流し込むと、喉を官能的に突き刺す炭酸の泡が、震えて溶かされて私に染み込む。気持ちいい、と思って前を見ると、観客の頭と頭の間に滲んだオレンジの光があって綺麗だった。こういう断片が、いつもいつも、私を明日まで連れて行ってくれるように思う。




さて、最後にbetcover!!についてなのだけど、本当にかっこよすぎて声出して笑っちゃった。かっこよすぎる。なんだありゃ。

曲の繋ぎがお洒落。イントロじゃなくてサビのリフを最初にやったり、緩急つけた曲順にしたり、まっっったく隙間なく次の曲に移ったりするから脳汁がびしゃびしゃになる。

あとシンプルに演奏がタマランチ会長であった。なにあの音作り!天才という言葉が何度も頭をよぎった。

気持ちいい音の時、わけわからんくらいかっこいい音の時は基本的に笑っちゃってたんだけど、特にガハハ!敵わんわ!となったのは、狐のA.Bメロ終わりサビ前の2拍、ドラムを皮切りに静かな音から、弾けるようにしてギャリギャリの音になる瞬間。トンじゃいそうだった。

新アルバムに収録されている曲、壁の最初のところの「つって(笑)」のヤナセジロウの声も綺麗すぎてワナワナした。


私は小さいので本人たちを肉眼で見ることは諦めて基本的に目を閉じて聴いていたんだけど(撮影OKのライブだったのでたまに人がビデオ撮ってる画面を覗き見てました、正直)(すみません)、最後にちょっとだけ背伸びしてみたらヤナセジロウだけ見えた。嬉しい。



いい夜だったあ!帰ったら花瓶の水でも変えっか!

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