叱ることは義務?権利?
先日、定期的に面倒を見ている小学生の子を叱りました。
充分に信頼関係があると判断してのことですが、本人と親御さんがどう感じているかはわかりません。
感情的に怒ったのではなく、前々から言おうと思っていたことを、言うべきか言わないべきか冷静に判断をしてのことでした。
私は講師などは経験をしていても、教員としてのキャリアはないので、子供に説教をすることには慣れていません。なので、数日経った今もふと思い出しては、あの場で叱ったのは正しかったのか、方法は間違っていなかったか、そもそも言ってることの筋は通っていたか、等々考えてしまいます。
心配なのは、私にはもう説教をしてくれる人がいないという事実です。叱っている側の私が間違えていたのでは話になりません。人から叱られることのない人間に、人を叱る資格が果たしてあるのか、という不安にかられます。
しかし、考えるうちにこうも思うようになりました。
叱ることは権利ではなく、むしろ義務ではないかと。
波風立てないように生きて行くのは簡単です。思ったことを飲み込むだけ。対立しないよう、人から嫌われないよう気を遣う。慣れれば簡単、すぐにできます。
しかし、それでは社会はダメになってしまう。誰かが何とか言ってやらないと、ダメなものはダメ。間違っていることに対し誰も声を上げない社会の先にあるのはディストピアです。
そもそも、誰しも誰かに叱られることで一人前になってきた筈です。叱られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!です。
(殴られているかはわかりませんが)
自分も周りの人に叱られることで大人になれたのだとすれば、今度は自分が叱る立場になって、誰かの過ちを正してあげないといけないのではないでしょうか。
と、ここで天の声
「ちょっと待って、今回はあくまで、あなたが他所の子を叱る必要があったかっていう話よね?主語が大きくなってない?!」
そんなのは知りません。変な責任感が出ちゃってやったことです。そういうちょっとしたショボい責任感で社会は回っているのかもね。
もちろん、感情的になって怒るのはダメです。あくまで相手のためを思って冷静に指摘するのは大前提。その誠実さを忘れなければ、多少伝えるのが下手でも、最終的には良い方向に向かってくれるはずと信じることにします。
そんなところで終わります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?