大宮見取図#21 コーヒーとタバコの文化をこれからも。令和の“BEANS”はここにあります!
●コーヒーと軽食のある喫茶店~SATEN~
志太 優一(しだ ゆういち)さん
小綺麗な外観&内観に加え、愚直でユニークな店名が目を引く、その名も「コーヒーと軽食のある喫茶店~SATEN~」。
今風のオシャレカフェかと思いきや、なんとそこにはザ・昭和を思わせるメニューがずらりの、まさに喫茶店。
どんな経緯、そして想いがあって、このお店は生まれたのか。
店主の志太さんに、たっぷりお聞きしました!
「私に合うコーヒーを」が頼めるお店。
入店とともに、コーヒーの深い香りと、ジャズ風のBGMがやさしく届いてきます。
新しい内装なのにどこか懐かしさを感じさせる、心が落ち着く空間です。
コーヒー豆はオリジナルブレンドで、どんなに忙しくてもハンドドリップ。
ナポリタンやミックスサンド、クラシックプリンなどの軽食はどれもボリュームたっぷりで、まさに昭和なラインナップ。
さらに、近年では珍しいタバコが吸えるお店で、なんと20歳未満は入店できないようにしているなど、こだわりが満載。
志太さん「コーヒーとタバコは、昭和から続く文化のようなものだと思っています。自分がその雰囲気が好きでしたし、この文化を継承していきたいと思ったので“大人”の喫茶店をめざしました」
コーヒーには特にこだわっており、なんと個人に合わせて豆をブレンドしてから淹れるサービスもあるそうです。
志太さん「よくバーで『私に合うカクテルを』とオーダーしますよね。コーヒーでも同じことができるのではと考えました。その人の好みや希望に合わせて豆をブレンドするなんて、他ではなかなか見ないですよね。そういう遊び心を取り入れたお店にしていきたいと思っています」
日本一平和にタバコが吸える喫茶店をめざして。
なぜ大宮にしたのか。志太さんに出店の経緯を聞くと、前職での出来事から今の物件との出会いまでのストーリーが語られました。
志太さん「もともとは、大宮製油さんの目の前で40年間続いていた喫茶店『珈琲館・BEANS』で働いていたんです。合計10年いて、ラスト3年はオーナーとして働いていました。ところが、2022年に再開発で移転しなければいけなくなってしまって」
動揺は小さくなかったそうですが、近隣の不動産店が心配して話を持ちかけてくれたことをきっかけに、本気で物件探しを始めたのだとか。
志太さん「実際に自分の足で、夕方、夜、朝、平日、土日と、今のお店の敷地周辺をとにかく歩いてみたんです。それで感じたのは、どの時間帯も平和だということ。氷川参道の力なのかもしれないですね。BEANSは良くも悪くも活気があって、平和を感じることはほとんどありませんでした。そんなに離れていないのに、空気感が全然違う。このエリアなら『日本一平和にタバコが吸える喫茶店』をつくれるのではと本気で感じました」
コーヒーとタバコの文化を愛する志太さんですが、そもそもどんな理由からBEANSで働いていたのでしょうか。
志太さん「自分が喫茶店好きであると同時に、人を喜ばせる仕事がしたい一心でした。もともとは上尾のカフェで働いていたんです。当時、大宮は近代的で栄えている街というイメージだったのですが、BEANSを知って『こんなに古いお店もあるんだ』というギャップにやられましたね。昭和らしい独特な雰囲気に一気に引き込まれた感じです」
BEANSに感謝し、BEANSを受け継ぐ。
「せっかくなら自分らしいお店を」と話す志太さんですが、その根底には、BEANS時代から受け継ぐものを残していきたいという想いが強く存在するように感じます。
志太さん「移転する3年ほど前に、突然継ぐ人がいなくなってしまって。それで一度考えたんです。流行りものではなく、街の中に溶け込み当たり前にある喫茶店。古くからの汚れや床のくぼみなど、狙っても出せないものがここにはたくさんあります。これまでのオーナーたちが引き継いできた証です。常連さんには思い出があるだろうし、これから来る若い人には新鮮に映るはず。そうであれば、残す価値はある、いや、この古きよき喫茶店を残していきたいと強く感じて『継がせてほしい』と懇願したんです」
「わずか3年で再開発の波にのまれましたが」と笑う志太さん。
それでも、最後に出てきたのは、そんな“昭和の喫茶店”への感謝の言葉でした。
志太さん「今自信をもってコーヒーを淹れることができているのは、BEANSのおかげなんです。珈琲の淹れすぎで右手が腱鞘炎になり、左手を使っていた時期もあったくらいです。今や両方の手で珈琲が淹れられるようになりました(笑)。やっぱりハンドドリップだと気持ちが込められるからか、美味しさでも香りでも自動で淹れたものとは全然違いますよ」
今日も、注文が来るたびに一杯一杯丁寧にドリップをする志太さん。
珈琲館・BEANSから続くこの当たり前の光景を、これからもずっと残していってほしいと感じました。