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アトツギのキャリアへの見解~新米社長の自己紹介を添えて~

こんにちは、袋屋の白石です。家業であるシコー株式会社を継いで2年目にとなりました。Twitterで多くのアトツギさんと交流させて頂いていると「アトツギのキャリア」について議論が交わされることが時々あります。それは、「すぐに家業に入るべきか?あるいは他社(ヨソ)で修行してから入るべきか?」というものです。そのことへの見解を自分のキャリアを含めて示したいと思います。

余談ですが、トップの画像は弊社(シコー株式会社)ゆるキャラのシコラの寅年バージョンです。寅年が終わるまでにこの記事を作成することを目標として使用しました。(無事達成)

ちなみにnoteデビュー作はこちら!

アトツギのキャリアについての論争

一言でアトツギと言っても業種・業態・会社の規模など千差万別です。それでも一般的には「ヨソで修行をする」ことが是とされることが多いというのが私の肌感覚です。実際に他社での経験を家業に持ち帰って活躍するアトツギさんが多くいらっしゃいます。そして、私はそういう方々に嫉妬の炎を激しく燃え上がらせつつ、リアルで、そしてTwitterなどのSNSを通じて教えを乞うたりしています。かたや、ヨソでの修行なしで家業に入社されて圧倒的な成果をあげられているアトツギさんも知り合いにおります。
そんな私の見解は「自分のキャリアを自分で決めることが大切だ」というものです。すいません、議論でAかBかを問われているのにCだと言いたいのです。

なぜ自分のキャリア自分で決めることが大切なのか?

簡単にいうと自分で決めたら他責のしようがないからです。自責になれば、圧倒的な当事者意識が芽生えて「どうしたらよいか?」ということにのみ集中して頭が回転するからです。他責にしていると、私の場合は眉間にシワをよせて愚痴ったりして自分はもちろん、周囲にも悪い影響を与えてしまいます。パフォーマンスは低調になります。

ここから簡単に自分の経歴をまとめてみます。大したものではないのですが、ざっと大別したこの3つはいずれも自分で決めてきました。そして、全部自分で決めてきたから、後悔はありません(その時々は別です)。まだまだ至らない部分はあるので、それらはこれから改善していけばよいと考えています。

  • 受験において:高校、大学と第一希望を落ちるのが嫌で受けないことを決めた

  • 就職において:就職活動がうまく行かずに、家業に入る決意をしたのは入社式の4日前

  • アメリカ留学において:大学院への社会人留学は不合格通知を握りしめての渡米

①受験編

高校と大学の受験は自分でも理解不明なのですが第一希望を受けませんでした。それを自分で決めました。それでも当時の自分の自堕落ぶりからでいうと、よい学校に進学できたと思っています。当時の自分の意味不明な感情を丁寧に言語化してみると「第一希望に落ちる=失敗が怖かった」となりました。
高校当時は授業中によく居眠りをして、「君の居場所は本当はここじゃないんだよ!」と第一希望だった高校の先生が自分のクラスに駆け込んでくるという謎の夢をみたりしていました。
自分で決めたことなので、とにかく自分と向き合う他なく、そのことは自分の繊細さや弱さを受け入れる素地をつくってくれたようです。

自分なりにスッキリしたのですが、このことに共感してもらえた経験は今のところあまりないので、未だに私の思考は意味不明なのかもしれません。

②就職編

就職活動は第一希望だった雑誌に取り上げられたりするカッコいい社長さんのいる企業に落ちてからは迷走していたように記憶しています。その企業にチャンスをもう一度与えてほしいという手紙を書いてみたり、青年海外協力隊の説明会に参加して最前列の席に座ったりしました。思うようにいかない結果に悩んだ結果、「こんな自分でも家業のお陰でここまでこれたので、家業で一生懸命頑張って恩返し出来たら。。。」という思考に至り、社長であった父親に家業への入社のお願いをしました。

そのときは大学4年の3月28日。大学の卒業式も終えて春らしい晴れの日に実家近所にあるタクシー運転手御用達の喫茶店に父親を呼び出しました。入社のお願いを切り出せずに2時間を要したところで、温厚な父が今までしたことがないような般若のような表情で「オマエは何がいいたいねん!?」と怒り出してようやく、頭を下げてお願いをしました。まさに般若のように怒っているような、泣いているような顔をした父の顔は未だに脳裏に焼き付いております。。
そして、その4日後に始まった社会人としてのキャリアは現在に至るまで一切の後悔がないのは入社を自分で決めてきたからです。

③アメリカ留学編

家業である袋屋シコーに入ってから東京で営業として働いていました。主な業務は既存のお客様の対応となるのですが、恩師といえる上司のお陰で2年目のはじめに海外の展示会に連れて行ってもらうことができました。そのことがきっかけで海外に興味をもって英語の勉強をはじめました。そして色々な人との交流を通じてアメリカの大学院でパッケージングの修士号を取得することが目標となりました。

希望する大学院への様々な書類提出を終えて、会社に留学を宣言し、大学院開始前の語学コースに通える段取りをした段階で実家に封筒に入ったA4サイズの書類が1枚だけ届きました。そこには英語がわからない母でも、あまりよろしくない内容だとわかったらしく、すぐに会社にいる私に連絡がありました。母の予想通り、それは大学院からの不合格通知でした。
ここで自分の中で大きな決断をしました。それは、「語学コースの3カ月の間に何とかして大学院に入る手段を現地の教授と交渉する。あかんかったら帰国しても家業には戻らない」というものでした。

結果として大学院の卒業はできたのですが、その成果よりも諦めずに挑戦することを「自分で決めてやり抜いた」ことが自分にとって大きな財産になりました。
※これは本当に結果論でまわりに沢山の迷惑をかけてしまいましたので進め方は反省です。不合格通知を握りしめての渡米から大学院卒業までのエピソードもいつかnoteに記録として残そうと思います。

まとめ

これらの経験を通じて、自分で決めることこそが肝要だと考えるようになりました。このことが圧倒的な当事者意識をつくりだし、成果につながるはずです。一般論はもちろん、親や先生に言われたことに従うだけでは、この当事者意識は醸造されにくいのではと思います。
とどのつまり、ヨソで修行をしても、すぐに家業に入っても圧倒的な当事者意識さえあれば何とかなるのではというのが持論です。

入りたかったカッコよかった社長さんのいた会社は社会人になって10年後になくなりました。あの会社に、もし入れていた自分を妄想しても、あまり意味はありません。自分の第一志望の高校や・大学に進んでいた場合も同様でしょう。一方で前出の恩師は「ヨソで修行した方がよかったな。。。」などと微塵も考えることがないほど私に会社で色々な経験させてくれました。

長々と書き連ねて感じることは、「正しい答えを選ぶというより、自分で選んだ道を正しいと言えるようにする」という表現が適切なのかもしれません。これはアトツギかどうかではなく万人に共通していえそうです。ここまで好き勝手書いておりますので異論反論は大いにあるでしょう。はい、全て受け入れる所存であります。

このような考え方をしているアトツギ社長です。ここからの自分の務めは、自分の意志でシコーで働らくことを決めた仲間に「やっぱりここで働くと決めてよかった」と思ってもらえる会社にすることです。学生時代にボンヤリと考えていた「恩返し」というフェーズにようやく入ってきたのかなという想いです。
タイトルの副題をフランス料理風に書きだして落としどころに悩んでおりました本作ですが、それっぽくまとまったところで筆をおくとします。

おあとがよろしいようで。

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