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해금 / Agust D

ワーー!
👏
お箸…🥢

さて、やっと해금を開封!!!

感じたこと、考えたこと達をババーッと綴っておりますが、この曲には、聴いた人の数だけ様々な解釈があるんじゃないかな〜と思ったりしました。
決して、この曲はこうだと思うのよ!!と言いたい訳ではなくて、私自身の個人的な解釈なので ご理解下さると幸いです🙏

chopsticksと、激推ししたいユンギの手
ぶしゃー!

ドワーー!!!初っ端から熱々。Agust Dが炸裂している…。

こっちの心もざわめいてきた

もうメロディから最高に、ワクワクとザワザワが私の中に巻き起こり…!🔥
ユンギ、演技のオファーが来たけれどお断りした。と話していたけれど、「いや、そりゃオファーされるわ!」と腑に落ちまくりだった。
演技してる!風に見えない、世界観が炸裂しているのに違和感が何もない…
このズンズン突き進んで行く感じがもう、たまらん…

ちなみに、ヘグムは伝統楽器というのは聞いたけれどどんなものだろう?と調べたら

こんな感じでした。様々な国の伝統的擦弦楽器の源、と書かれていますが、私は小学校の国語の教科書に載っていた"スーホの白い馬"に出てきた馬頭琴を思い出しました。
調べたら、Wikipediaに載っているモリンホールが馬頭琴のことらしく、また一つ新たなことを知って、なんだか嬉しかった…(夏休みの課題の感想文みたいになっちゃいましたね…)

자유と사유の合わせ技!

あなたの判断と推測には確固たる信念があるか
あなたの自由と他人の自由が同じだと思うか

リズムとテンポが合わさって、畳み掛けるように問いかけてくる、彼の内側から生まれた言葉達が、音に乗って心の奥底に訴えかけてくる、心の底が揺れる、揺さぶられる。こちらに答えを委ねてくる。
こちらを試しているようで、自己にも問いかけて、試しているようにも取れる歌詞達に圧倒。

いくぜー!
ここ、多分ユンギペンさんノックアウト。

自己の解禁(解放)、を表しているかのような彼の行動、表情、異常なようにも見えるテンション。
それが逆に、聴き手側に、自己にひたすらに問いかけている、問いかけられているような張り詰めた緊張感を与えている気がした。
人々へも、世間へも、そして最も近い存在であり、時に遠い存在でもある自分自身、自己へ。

嘲笑

果たして僕らを禁じたのは誰だろうか
ひょっとすると僕ら自身なのではないか

ここ、ハッとされられたというか。
めちゃくちゃ核心を突いているなと。
顔に傷痕がある黒ユンギもヤンキーシャツユンギも、どちらも彼の自己。
解禁、解放されようとしている新たな自己と、それに抗い抑圧しようとする、抑圧されてきた、あるいは怒りをパワーにして走り続けた自己を、それぞれ表しているのではないだろうか、と。

ここ、めちゃくちゃAgust Dらしい攻め感だなと、だってこのMV、YouTubeで公開されてるんですよ…奥さん…(誰)

目を瞑れば楽さ、何もかも想定内
損得によって露骨に分かれる見解
妬み嫉みにみんなさ 目が眩んでる
互いに足枷をつけ合ってることに気づかないまま

一見、対極的なように映っているヤンキーシャツユンギと、黒ユンギだけれど、結局はどちらもユンギであって。
それが、この歌詞の辺りの、2人の彼の表情と雰囲気の重なり方に現れていた気がした。
あと、この歌詞は世間に向けての皮肉に思えるけれど、対立する自己の闘いの一幕のようにも感じられた。

ついに対面した。
アー!
ブチ切れですよ、そりゃもう

"だけど自由とわがままの違うぐらいはどうか見分けてくれ"

"僕らは自由とわがままの違いぐらいは見分けられるから"

という歌詞がこの曲には出てくるが、自由を謳っていながら他者の自由を制限しようとする、そんな世を生きる人々へ警鐘を鳴らしているようでもあり…。
「僕ら」はこの2人のユンギのことでもあるのかと。
傷痕を持つ黒ユンギ=自分自身に気付かせようとしている、傷を負い、怒りを燃やしていた過去を受け入れ、新たな自分を解禁させようとしている、そんな風にも見れるような、この場面の表現に鳥肌🐥
鋭いけれど、彼が自身へ向ける慈悲のようなものも、感じられる問いかけたち。

怒りや憎しみの感情が炸裂しているというより、物凄く俯瞰で世の中を、そこで生きてきた自分自身を見つめているんだろうなと感じた。

ヤンキーシャツユンギを、解禁させまいと、抑圧しようとする黒ユンギ、いよいよ佳境に入った!!という感じがする音、映像、表情、声。
2人の自己の闘い。
そして、デチタを彷彿とさせるこの場所と炎。

演技でも、こんなに水の中に頭沈められたら 結構腹立ちそうですよね。(全然関係ない話)

THE END?
この2人の対峙、強強ですね

黒ユンギとの対峙と、終末。
単なる終末、死ではなく、自己の解禁(解放)と始まりのようなエンドロール。
黒ユンギの最後の笑みがどういう意図なのかが、私の頭では解釈しきれず悩んだので、正直に解釈しきれない。と書いておきます笑
全てを理解して、言葉にできなくても良い気がして。
観念した訳でもなく、諦めた訳でもなく、自己を受け入れた??うーん、難しい。一つだけハッキリと言えることは、黒ユンギの最後の笑みが最後に良かったと言うことだけですかね(無理矢理)

白雪糖面
국수 하나 주세요〜的な?
気になったのは腕の血管ですかね…
なんの麺だろ、おいしそ
ここでデチタと、AMYGDALAのMVが横に並んでるの、良いな…

なんだろうな、この花様年華を彷彿とさせるパトカーとユンギの表情。
白雪糖面っていう看板の文字が、ユンギを表してるみたいで不思議…白雪みたいに白くてSUGARだもんな…(誰)
黒ユンギとの、自己との対峙と闘いを終えたヤンキーシャツユンギは、最初とは打って変わって 凄く落ち着いて見えるんですよね、黒ユンギは死んだ訳では決してなくて、2つの自己が一体となるための死の表現=自己の解禁ということなのかしら…?

私はこういう考察がどうも苦手でして、最後は正直にどうなんだろうな〜と書いてみました。
悩みあぐねてずっとウンウンと夢に出てきそうなので、色んな人の解釈も見てみたいな、という感想でした。
noterの皆さまの記事も拝見してみたいですし、ARMYさん達とこういうのを語り合う場があったら楽しそうだな〜とも思いました。
しかし、彼の曲と彼自身の奥深さは、やはり計り知れませんね。凄いもの見た…


ここからは、全体的な感想なのだけれど。

正直、最初にこの曲を聴いた後は 勢いと鋭さに圧倒されて、「話が違うじゃん…ユンギさん全然鋭さ失ってないじゃん…何が起きたんだ…」と呆然とした。(いや、別に彼は鋭さ失ったとは言ってないけれど笑)
不思議なのは、鋭さ満載なのに、めちゃくちゃ中毒性がある。
圧倒されているのに、ひたすらに問いかけ、畳み掛けてくるのに、そこに陰湿さがないというか、湿気た空気みたいジメジメしてなくて纏わりついてこないといいますか。(言い方)
激流のように心に流れ込んで来るのに、
「もう無理…!!しんどい!!」とならない。
むしろ、もう一回、もう一回。と、思わずリピート再生してしまうといいますか。
私の場合はMVをリピート再生してました。

欲望のままに何度も聴いていたら「私の自由とは?私の中にある本物はどれ?」と、해금の世界観、彼の世界観にまんまと、どっぷり浸かってしまった。
何度も聴くうちに、なんだか突然、思考の海にドボーンと突き落とされた気分になった。
普段、無意識の内に流されたり、抑圧されたりして(世の中にも自分にも)、自分自身で深い場所に封印していた、隠れていた自分の一部分。
抑えられていた自己の固く結んだ紐みたいなものを、強制的に解かれそうになるというか、ど真ん中の奥深くを引っ張り出されるような。
思わず「ギャ!」と一歩後退りしたくなるような、そしてこれは彼の音楽でないと、味わえないこの感覚、感情達だと、心の底から思った。
思ったというより、思い知らされた。
彼の言葉達を、警鐘を、聞き逃してはいけない気がして。
魂のこもった音楽だからこそ、全身全霊でこちらも受け取らなければいけない、受け取りたいと思う一曲でした。
私自身が、人々が生きていく上で、忘れてはならないもの達を、鋭く突きつけられている気がして。


最近の彼からは、穏やかさを感じられるけれど、それは彼の在り方、形がまるっと全て変わったわけではなくて、彼の中の鋭い部分は、失われてないどころか、むしろもっと鋭く磨かれて、眩しい光を放っている気がした。
彼の曲を聴くと、なんだか私は、生きてるな。となんだか思えるなあとも。
なんでしょうね、どうしてそう思うかを明確に説明するのは難しいけれど、また私の人生の中の大切な曲が増えて、改めて出逢えて良かったなあ、と思いました💫



長々と書きましたが、今日はここまで!🤝
昨日の生配信で、ユンギが風邪をひいてしまったという話をちょこっと聞いて、配信中も咳をしていたので、少し心配ですが…😢
ツアー初日が彼の記憶の1ページに刻まれるような、素敵な時間になることを願っております🫶
もちろん、会場にいるARMYにとっても素晴らしい時間の共有が出来ますように!💜

ツアースケジュールが結構、ガッツリ!という感じなので、健康には本当に気をつけて怪我無く楽しい日々になってほしいです🤝
シュチタの、ウジくん編も楽しみ…!(その前にR취타も観たい…)

また、Agust Dのアルバム曲についての感想をジワジワ綴ってきたいと思います💫
読んでくださった方がいらっしゃれば、ありがとうございました😌


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