専門病院へ
母乳、ミルクの飲みっぷりの良さ、排泄に問題がないこと、全身状態が良いことを鑑み、退院許可が下りたのは、生後9日めのこと。
長い長い9日間だった。
NICUに子どもは入れなかったため、娘は息子の対面をそれはそれは楽しみにしていて、「わぁーあかちゃん。かわいいねぇ」と何度も何度もそーっと頭を撫で、「だっこしたい!」とお姉さんぶりを発揮してくれた。
入院中でできなかったお七夜兼ねて、両家の親族たちも顔を揃えてくれ、手放しで息子の誕生を祝えた、最高に嬉しい日だった。
普段の育児は、通常とさほど変わらなかった。
新生児の時に心がけていたのは、下記の3つくらいだ。
聞こえているかはわからなくても、声をかけ続けること。骨を通じて聴覚神経に音を届けられることを狙い、頭耳やに口をつけて話すこと。積極的にスキンシップすること、泣いてしまった時は特に。
専門医のいる病院への紹介状を書く、という約束で退院したのに、担当のM先生からは音沙汰がない。通常7〜10日かかると言われていたが、2週間経っても届かない。
忘れられていたら困るから念のため、と思って電話をかけた時の反応で、
「あ、忘れてたなコイツ」
とまた怒りがフツフツ。しょうがない。落ち着け私。
プッシュ後は迅速に送られてきた。リファー先は、国内有数の子どもの症例が集まる病院だった。
私の母は医療関係者なので、ほんのちょっとだけ医療機関に顔が効く。人脈を辿り、その病院の中でも最も優秀な先生を紹介して欲しい、と手紙をしたためた。母も一緒に、何度も頭を下げてくれた。
「小耳症と外耳道閉鎖ならば、耳鼻科と形成両方必要だね。もちろん、紹介状書くよ。僕が知る限り、最も優秀で信頼できるドクターたちだよ」
と心強すぎるお言葉をいただき、かくして手に入れた紹介状を手に予約を入れたところ、初診日は1ヶ月半後。
難聴児への音入れは、生後3ヶ月で治療方針を決め、生後6ヶ月には補聴器装用するのが望ましい、とされている。
生後3ヶ月なんてあっという間じゃないか。初診で治療方針が決まるわけでもないし、本当に大丈夫なのか。
ジリジリとした焦りばかりが募った。
そんな中、私たち親子に寄り添ってくれたのは、息子を取り上げてくれた産院のドクターと助産師さんたちだった。
NICUでは、ミルクの飲みっぷりの良さで有名だった息子だが、退院後には毎回直接母乳を飲むことになり、なかなかうまくいかなかった。そのため、一時的に体重が減ってしまったのだ。
息子の体重の増え具合、そして産後翌日から動き回る羽目になった私の体のこと、ただでさえホルモンバランスが崩れてデリケートなメンタルのケア、母乳育児のリズムの作り方、など、全面的にサポートしてくれた。
時には1時間以上時間をかけ、ゆっくり話を聞いてくれ、私の背中をさすってくれ、「ママえらいね、頑張り屋さんだね。えらい、えらい」と言ってくれた。
さすってくれる手のじんわりとした温かさと、かけてくれる言葉の温かさ・優しさに涙することも、たくさんあった。
「お姉ちゃんいるもん、おうちじゃ泣けないよねー。ここでたくさん泣いていきなー」と。
あの時間がなかったら、産後うつになっていたかもしれない、と心から思う。感謝してもし足りない。