うまくいかなかった取材は、自分の非をあきらかに
今日は、アシスタントのとある記事執筆についてのふり返りを行った。企画、リサーチ、取材、執筆までを本人にやってもらい、ぼくは最後の編集を担当した。
編集される側になって初めて気づくが、誰しも「書き方の癖」を持っていて、やりがちな構成や常用句がある。今回は、編集する側として、1年前との変化を感じつつも、その子らしい修正箇所があって、その部分(「リード」について)を広げてじっくりと話した。
ただ一番の問題は、執筆前の取材にあったことが発覚する。ようは、媒体とテーマに合わせた核心めいた話を聞くことができないまま(ある種、撮れ高がないまま)、執筆へスライドしていったとのこと。なるほど、だから構成もややチグハグな箇所があったのかと納得した。
今回は、ご高齢の方に話を聞いたそうだ。いくつか質問を投げかけてはみるものの、どこか的を得ない返答があったり、話が大きく外れていったりで困惑しちゃったわけだ。
まあ、質問の意図がうまく伝わらなかったり、相手が話し慣れていない方だったり、話があっちにこっちに飛んじゃうことは取材を初めたてはよくある。大事なのは相手の非でなく、こちらの非としてどう改善できるか。
「自分が扱った言葉の意味がちゃんと伝わっていたのか」
「伝わっていなければ、言葉を言い換えることはしたか」
「『たとえば』と例などを用いてみたか」「準備した質問をいきなり投げかけてなかったか」
「ほぐれる(関係性ができる)までの雑談はあったか」
「流れに沿った質問となっていたか(変に話をコントロールしようとしていなかったか)」
「そもそも"進行"するという意識はあったのか」
「リサーチで、事前準備はどこまでできていたのか」
etc.
ぶっちゃけ、取材は慣れだと思う。意識をもったうえでの慣れのみ。あと、取材を"取材っぽくやらない”ことができるかどうか。雑談やおしゃべりの延長線上でやれちゃう取材がいい。いい意味で、相手が油断できて、ポロッと言葉がこぼれるか。その言葉を掘り下げることで、インタビューワーだけでなくインタビューイーも同じように「見つけた!(今度から使っちゃおうかな)」という感覚を持てるかどうか。
(過去noteにも近しいことを書いてたみたい)
アシスタントちゃんには、どんどん書いてもらいたいから、なるべく取材は同行してもらいたいし、単独で動けるようにもなってほしい。てか、もうあとは場数だけのような気もするから、その機会をばんばん提供しちゃおう。いっぱいミスって、力をつけてくれ。そう、力をつけるためにも、いっぱいミスってね。
ふり返りのときに、参考としてあげた記事。ここらへんは8年前くらいに取材執筆をさせてもらったやつだ。なんか懐かしかったので、今さら編集後記みたいなものを。文具店と本屋のふたつ。
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