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猫は、猫でいいのだ

毎日のように猫たちと喧嘩をしている。言葉を使うわけではない、ノンバーバルな喧嘩だ。互いに、一方的に仕掛けて、相手を煩わせる。

勃発するのは、いつも急である。ぼくが作業に没頭はじめて、ゾーンに入ったかと思えば、外から弱々しく「にゃー」と聞こえてくる。そこで集中力が一気に失う。

いや、お前、さっき外に出たいと鳴いて出たばっかりなのに、なんなんだ!? と怒りのスイッチが入る。無視しようとしても、そのか弱さを演じてるんじゃないかと疑うような声の連続にさらに腹を立てる。

「うるせぇんだよ!」

外に向かって120%の気力でぼくは投げ返す。こうやって文字にしてると、なんとも恥ずかしい人間なんだ……と思うのだが、その瞬間には本気でカッとしているわけだ。

いいのかわるいのか、猫とは対等で暮らしているつもりだ。 その姿勢が、猫にも全力で怒るというリアクションを生んでしまった。

まあ、怒ったとて、猫の声が鳴り止むわけでもなく、仕方なく、玄関に向かい、その戸を開けると、スッとひょうひょうとした表情で入ってくる猫。家に入れてしまえば、知らぬが仏である。猫も仏の顔を知っているのだ。

怒りを言葉として投げてしまう我をふり返るたびに、「ああ、違った言語同士でよかった」と安堵する。猫もふつうに日本語使えたら、毎日取っ組み合いの喧嘩になっているだろう。

もちろん、反省もする。欲望に忠実なあいつらだ。ちょっとしたことで気が変わってしまうのは性質なのだ。本能なのだ。そこは制御できるわけがない。制御しようとしちゃいけないことでもある。

「うるせぇんだよ!」

この一言は、サッカー選手に「ボールを蹴るな!」、魚屋に「魚を売るな!」、ルー大柴に「ルー語を使うな!」と言うようなもの。その人がその存在たらしめるものを否定するのは、まあよくないよな。目をそらさず、受けれよう。

だから、わかっちゃあいるけど、ついカッとなってしまうこの性質とも末長く付き合ってくれよ、と猫たちに言いたい。ぼくも、その気分屋に付き合うからさ。うまく共存しようぜ。

ずっと、猫は猫のままに、自分たちを猫たらしめていてくれればそれでいい。人間に媚びへつらうような輩にはならんでくれ。

そんなことを書き留めていたら、怒りが浄化していくようだ…と書きたかったけど、他の猫が外でまた「にゃ〜」と鳴いている…。ピキっ...…。

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