半分
「アンタのお父ん、朝鮮やから。アンタだけアイツによぉ似て毛色が一人違うからなぁ。教えといたるわ」
母親が突然そう云った。
スナック勤めで、泥酔し深夜に帰宅した、縦にデカい女は、酒と煙草で灼けた重低音に近い声を張上げて宣った。
此の頃、既に母親は虚言癖だ、と理解していたから、又何かほざいてんな。位の気持ちでスルーした。
時が流れて、大人になって…そんな言葉は忘れていた頃…
「アメリカとの半分と云うだけで…戦後の時代は生きづらかった…」
と、当時準喫茶でバイトしていた私に、客である老齢の男性はそう云った。
祖父母に育てられ、戦中戦後の話は時折聞いていたし、祖母も当時の時代にはそぐわない、まるで外国人のような顔立ちをしていたから、其の男性の話も、何となくではあるが理解出来た。
「店員さんも、大変だっただろう?」
……?
「店員さんは中国だろう?」
………?
此の言葉で、母親の虚言を思い出した。
けれど、否、まさか?
其の時は、内心焦りながら適当に笑って誤摩化した。
確かに、珍しい名字ではある。
簡単な文字なのに誰にでも、一度は訊かれる。
でも、私は父親似だから…祖母に似ている母親、弟妹達なら、未だ、そう云われても理解出来る。
此の後、何年も燻り続けた。
人間嫌いで、人間不振で、会話が得意ではない割に、接客業に近い仕事をしていた。
此の時によく云われたのが、後ろ姿が外人。
体型がそう云わせた。
私は、綺麗になりたい。モテたい。ちやほやされたい。と云った感情が分からないので、気に留める事もないが、お尻が大きく形が良いそうだ。
此れを初めて聞いた時は、形の良さは分からんが確かにケツはデカいな…と思った。
近年は余りないが、昔から外国人に道を尋ねられる事は多い方だった。
英語、ポルトガル語、中国語…
頼むから日本語喋ってくれよ、と思いながら答えたものだ。日本人なのにカタコトの日本語で。
ある日、祖母に会いに行った時の事だ。
祖母は高齢ではあるが、身体は弱いけれど、殆ど呆けがなかった。
因みに昔から、某サスペンスドラマの京都人らしく皮肉屋で…キレると甲高い声でヒステリックに怒鳴る人だ。
必要とされてこなかったけれど、育ててはくれた人。
こう云うと祖母には悪いかも知れないが、正直、暴力は振るわないが、顔以外も母親と似ていると思っているので、なるべくキレさせないように話さなければならない。
「そうそう。アンタに云うといたらななぁて思ててんやけどな?」
お茶を啜り、TVを観ながら
「アンタの父親な?朝鮮の出ぇやねんよ。」
爆弾が落ちた。
「半分や云うてたなぁ」
母親の虚言、老齢の男性の言葉、祖母の言葉が耳の奥で繰り返す…
ショック、だったと思う。
まあ、其れで何が変わる訳でもなかったから良いけれど…
此の話の一年後、父親は亡くなったようなので、確かめる事は一生ないだろう。
小さい頃は、家族に似ていない自分が辛かった。似ている弟妹が羨ましかった。家族で出掛けた先で、他人から、私だけ他人呼ばわりされるのが悲しかった。
でも…今なら喜んでお礼を云うよ。母方の誰にも似ずに産んでくれた事を。貴方達に見捨てられて育ったからこそ、母達のようにならずに済んだと。
日本人で育ったけど、クォーターか。でもなぁ、祖母の家系の方がよっぽど白人種に見えるしな。