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《第二回》「どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー」

※この文章は、《Whenever Wherever Festival 2025》が開催するワークショップ『どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー』第二回目の感想です。

☆ワークショップのディレクターは、アーティストでダンサーのAokidさん


港区でのクルー活動の第2回目。
今日もたくさんの裏通りを通った。たくさんの坂を上り、下った。
まだうまく言語化はできないけれど、少しづつ街からの言葉を受け取り始めているような気がしている。
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ストゼロ缶の散乱する公衆トイレ
安い自販機
路地で煙草を吸う外国人労働者
大きなビルと大きなビルの間の小さな公園と小さな子どもたち
蔓に覆われた古い家屋、解体作業中の民家
たくさんの〇〇ヒルズ
豪奢な大使館と白い宗教施設
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消費者を吸い込む表通りと、労働者が発散する裏通り。
以前、大学の偉い先生が、街には必ず表と裏が必要なのだと言っていた「公」の表と、「私」の裏。まるで人間みたいだ。

夜の東京タワーは火柱みたいだった。
増上寺の隣で、まるで街の守護神のように、赤々と聳え立っていた。

 今日は街歩きの途中、歩道橋の上から道路を走る車に向かって皆で手を振るワークをした。
大抵の人は私たちの存在に気付かないか、気付いても無反応だったけれど(それはそうですよね)、一台だけ手を振り返してくれた車を見つけて心がほんわかした。
 これってフリーハグみたいだ。実際にハグはしていないけれど、手を振るという行為を通じて、街に何かキラキラしたものを差し出しているような、街ごと、そこにいる人たちを抱きしめているような、そんな行為に思えた。

 その後は子供たちの笑い声が響く小さな公園で、Aokidさんが2月の発表会で行う"たいそう"の動きを少し考えてくれた。
 その発想の面白さ!
 途中通った坂の名前(幽霊坂。有礼坂とも書く)からインスピレーションを受けて、手を合わせたりお辞儀をしたりといった礼拝の要素を''たいそう''の中にコミカルに取り入れていた。振付って自由なんだなぁ、こんなに面白おかしく、軽やかに決めてもいいんだなぁ。

 一本の植え初めの木を皆で囲むように円になり、慈しむように手をかざしたり、"たいそう"の練習をしたり。なんだか皆でこの木がすくすく育ちますようにとおまじないをかけているような気にもなった。
 『となりのトトロ』でそういうシーンがある。サツキとメイが、庭にどんぐりを植えて、その周りでぐるぐる踊って、みるみるうちに芽が出て森になっていくシーン。あれをイメージしながら木にパワーを送った。(こっそりと)

 さて、ここから先は個人的な課題を書きます。
 それは、公園で”たいそう”に集中できなかったことについて。
 動きは合っているのか?周りから見て私はどう映っているのか?が気になってしょうがなかった。
 これは街を歩いているときにも感じたことだけれど、私はどうやらかなりのエネルギーが外に漏れてしまっている。まるでガソリンを垂れ流しながら走っている車のように。
 人の顔色を見ながら話をして、反応次第で意見を引っ込めてしまったりすることもしばしばあった。そういう時は、自分の中でどんどんエネルギーが弱く、尻すぼみになっていっていると感じる。(実際に声が小さくなっていったり、表情も硬くなる。) 

 「''たいそう''でも会話でも、私は人から良く思われたいんだな。」
 もちろん、ある程度外に意識が向くのは普通のことで、それは人と繋がる上で強みにもなるけれど、私は今後「人に気に入られるため」に何かをすることはやめると決めた。

 誰かに気に入られたいということは、つまりその人のことが好きなのだ。その人との関係を育てたいから、反応が気になってしまう。でも、「相手に気に入られたいから〇〇する、〇〇しない」をしてしまうと、私はその人の鳥かごに入ることになる。一度入ってしまうと、もう対等に踊ることは叶わない。

 でも、ここで朗報があります。その鳥かごは、自作なのですぐに出れます。鍵はすでに持っているのだから。
 自分でわざわざ頑丈な鳥かご(しかも鍵付き)をつくるのは、安全圏にいたいがゆえの行動なのだ。「すごく仲良くなれなくていいから、嫌われたくない。」そんな感情の表れなんだと思う。

 そんな風に思う自分を、いじらしいな~。可愛いな~。と思いつつ、そんないじらしい私の願い(この人と仲良くなりたい)を叶えてあげるために、私は鳥かごから出ることに決めたのです。

 それでもやっぱり相手の反応が気になって、自分を引っ込めちゃうこともあると思う。そういう時は「本当は今、私は何て言いたかったのかな?」って優しく自分に聞いてあげようと思う。「できなくて全然いいよ。怖くて当然だよ。」って寄り添ってあげようと思う。そして、この怖さや恥ずかしさと向き合えている自分を、たくさんたくさん褒めてあげるんだ。

 「相手に気に入られるために」よりも「相手と自分のために」何かを言えたり、行動できる自分にもっともっとなっていく。
ぶつかってもいいから、傷ついてもいいから、もっと人と踊りたい。

☆お知らせ☆

私の参加する、《Whenever Wherever Festival 2025》開催のワークショップ『どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー』ですが・・

なんと!
2月1日(土) SHIBAURA HOUSEにて、発表会をします!!!
・港区を身体で表現するとどんな形になるのか?
・どんな発表にしていくか?
そういうことをこれから皆で形にしていくのですが、きっと楽しくてヘンテコで、でもなんだかしみじみ良い・・。そんな風に思える"たいそう"になっていく予感がします!

他にも別のワークショップ参加者の発表会があったり、ダンスイベントやトークショーがあったりと盛りだくさんなので、ぜひチェックしてみてくださいね☆
あ、ちなみに私はダンス経験が全くのゼロです。37歳の主婦です。それでもこのワークショップはとっても楽しいので、もし普段は踊らないけど、そんなにハードル高くないならちょっとくらい身体動かしてみたいな・・って方にも個人的にはおすすめです。ダンスというと敷居の高いイメージがありますが、古来から人間は皆踊ってきていますからね。これが踊りだ!と言い張れば、それがどんな形だって立派な踊りになるのではないでしょうか?
ハードルを下げて下げて下げまくって!一緒に踊りましょう!

☆イベントの詳細&タイムテーブルはこちら!                        

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☆SHIBAURA HOUSEのアクセス


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