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ぽろぽろ泣いちゃった…そんで、我思うゆえに我ありって言葉が浮かんだ夜。

どうってこともないんだけどね。

私以外の誰ひとり気に留めることがないどころか笑顔になる、ちょっとした出来事ってだけの、小さい小さい些細なきっかけがあって、私もがんばって一緒に微笑んで、よかったね素敵ねって言って、他愛もない話をいっぱいして、お休みって帰って行ったあとでね、片付けしてついでに犬のトイレを掃除して床拭いてたら、ぽろぽろ涙が出たってだけの話。

自分の人生でやらかしてきたことが全部失敗だったなんてこれっぽっちも思ってないし、その時々それ以外の選択なんてないと思って生きて来たんだけど、それが誰かにとっては受け入れがたい特別なことなのかもしれないってふと思うことがごくごく当たり前の日常に時々はあったな、ってことを久しぶりに感じたからかな。
いやいや、やっぱり自分のどこかに「みんなの思うふつう」と違う生き方して来た負い目みたいな気持ちがあるんだろうな。
だってさ、日本の昭和を生きて来たんだもの。仕方ないさ。皆と同じようにしていれば良しっていう社会ね。

そう、そんな社会を生きて来て、今年離婚後25周年を迎えたベテランシングルマザーとは私のことよwww
もちろん上には上がいるだろうから、大ベテランシングルマザー先輩とぜひ会ってお話したいとは切に思う。
そうしたら、私の涙なんて一瞬で乾いちゃうんだろう。

どうってこともないんだよ。
ほんとに。

私のことを好きじゃない、あるいは存在すら気にも留めない人たちが楽しそうにはしゃいだ写真が載ってる、息子のwedding photoって冊子をを見せてもらっただけ。
見開き2面分にそれが載ってるとは思わなかったから、ちょっと動揺しただけ。動揺した自分の馬鹿さに呆れただけ。

なにぶんにも夫が欠けたシングルマザーだからさ、両親枠2名×両家で4名の親族参加枠は最初からあちら一家3人で埋まってたの。家族全員で参加出来て良かったね。私がシングルだったお陰よ(笑)
娘の時もだけど今回の息子たちも、式と披露宴しないでwedding photoだけ撮るって言うので、お代は二女の時にも出してあげたから平等に息子にも同額。嫁ちゃんはそれを気にしてお義母さん本当に来ないの?って言ってくれてたらしいけど。
私はもちろん行ってない。行けないよ。行けるわけがない。
何でか話すね。
これもどうってこともないだけどさ。

約1年前に突然息子が結婚したの。
もちろん、嫁ちゃんになる人とは何回か会ってたし、いい大人の息子の人生だもん。よかったねって言うだけよ。

そのあとね、相手の両親に挨拶に行ったときの話するね。
玄関先にも入れてもらえず家の外で手土産渡してね、あちらからもいただいたの。相手方のおうちの駐車場での1分くらいの出来事だった。

しばらく後に息子夫婦がお店予約して食事会を開いてくれたの。
結婚祝いはお金で渡してあったけど、食事会も半分だけ出させてもらった。そのくらいしかできないしね。
そこでね、あちらのお母様から満面の笑みで「今後はお中元とかお歳暮とかのやり取りはしないようにしましょう」って一方的に宣言されたの。

ああ、親戚が増えたと思ってたのは私だけだったんだと気づかされて、次に会うのはどっちかの葬式ってことか、と悟ったのさ。
息子のパートナーのご両親だし、少しは知り合いたいなって思ってたのは私だけで、あちらはそんな気さらさらなかったってわけよ。
料理は最初おいしいって思ったんだけど、途中から味がしなくなってた。

まだ続きがあるよ。
全員で1枚記念撮影した後に、あちら一家で並んだの。そして、
「写真撮って」ってあちらのお母様が息子にスマホ渡したの見た時は愕然としたわよ。
これ、どういう会なの??って思ってさ。

で、今日、娘には言っといた。
「私の葬式に向こうの両親来ても絶対入れないでね」って。
ま、来ないとは思うけど。

人間ってめんどくさいねぇ。
動物ならさ、子ども産んで自立させたら、それで命もおしまいなのにね。

そのあと人間は自分で心身メンテして面倒見ながら、生きるためのお金も稼いで周りに迷惑かけずに少しは自分も楽しみながら生きるにはどうやったらいいんだろうかなんて、考えて考えて考えて、ギシギシ言う関節のことも夕方になると急に落ちる視力のせいで本を読む気も失せがちなことも、増える白髪も皺もぜんぶ頑張って受け入れて、時と場合に応じて大なり小なりね、周りが期待する「お婆さん」「お姑さん」として生きるわけよ。

気持ちと体力のギャップがどんどん広がって、それでも体の衰えに引っ張られるから抗おうとするのにも体力精神力がいる。

さぁて、私はどうしたいんだろう。
我思うゆえに我あり。
ってことで、まだ我は存在しているから、我に期待しようとは思う。







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