自由
『自由』
そう聞いて貴方は何を思い浮かべるでしょう
人は皆、自分が思っている以上に何かに縛られて生きています
子供の頃、食べたいお菓子を我慢した事、欲しいおもちゃを我慢した事、ゲームを1日1時間しかできなかった事、そんな事が嫌でした
もっと言えば週1回の習い事に行かなきゃいけない事、宿題をやらなきゃいけない事、学校に行かなきゃいけない事、それが嫌で嫌で嫌すぎて鬱でした
僕は生まれつき自由気ままな性格でしたし、誰かに指示された事をしたり言われた通りにするのがとても苦手で全て自分の意思で決定してきました
とは言え、子供の頃はお金も権力も無いので多少なりとも親に従うしかありませんでした
だから僕が『自分の好きにしていい』と気づいたのは中学二年の頃です
小学生3年の頃、僕は欲しいカードがありました
確か1枚4000円ぐらい
僕は昔から、人に縋るのが苦手で相手にメリットのない事を頼む事を好みませんでした
本当に子供の頃からです、普通子供は親に何かを買ってくれだのちょうだいだの言いますよね
僕はそれが全くなかったんです、親に「あなたは人に何かを頼む事をしない、欲しい物やして欲しい事があっても言わない」と言われた事があります
それはあながち間違いではありません
あながち、と言うのは僕は人に頼み事をしないんじゃなくて、相手にメリットのない事を頼まないからです
例えば僕が欲しいおもちゃを親に欲しいと言って、親がそれを買ってくれたとしても親には何のメリットもありません、それはフェアじゃないと思っていたんです
だから人に頼んで買って貰うより、自分でお金を貯めて買おうって思考でした、今思えば子供の癖に不思議です
でもそれは本当に昔からそうで、1番古い記憶は小学生低学年くらい
周りに比べて物欲の無い子供だと思われていました
でも実際は物欲が無いんじゃなくて、子供ながら人に縋るのが苦手だっただけなんです
話は戻りますが、僕が欲しかった4000円ぐらいのカードを買おうとしていたら親に止められました
「1枚4000円もするカードなんて買う必要ない」と
まぁ今考えればそう言うのも無理はありません
今でこそカードは資産価値として認められつつありますが、当時、しかもカードゲームなんて知らない素人からすればただの紙切れが1枚4000円です
まぁそれを言ったら千円札も一万円札もただの紙切れなんですけど
要はその紙切れにどれだけの価値があるか、どれだけの対価と交換出来るのかが重要なだけです
しかし当時小学生3年の僕は当たり前にそんな事は説明出来ませんでした
何も1枚4000円のカードを買ってくれって言った訳じゃないんです
自分で貯めたお金です、筋は通ってます
僕が貯めたお金は僕の物ですし、どう使おうと僕の自由です
無駄な使い方をしない様にアドバイスする権利はあっても、僕の行動を制限する権利は誰にもありません
しかし当時家も食事も親頼りだった小学生の僕は親の言う事を聞かざるを得ませんでした
なぜなら言う事を聞かなかったら家から出て行け、飯は食わせないと言われたらそれまでだからです
だから従うしかなかったんです
僕はその時に強烈な怒りと悔しさを感じると同時に、こんな大人にはならないと誓いました
「お金がないから買う物を制限する」という考え方は間違っています
本当に欲しい物を手に入れる為に「どうお金を稼ぐか」が正しいです
何の努力もせずに、お金がないのは自業自得です
それが嫌なら自分の頭で考え、努力すればいいだけの話です
それをせずに子供の好きな物1つ、しかも自分で貯めたお金ですら買わせない様な人間には絶対にならない
自分の生活費は全て自分で賄って親の縛りから一刻も早く開放される、そう誓いました
それから僕は転売を学びました
最初に転売に手を付けたのは小学4年の頃
本格的にやり始めたのは中学に上がってからです
自分の生活費は自分で賄うと言っても、小学生や中学生では普通に雇われて働く事は出来ませんし
何より「普通に働く」という事がいかに非効率的な事かを僕はよく知っていました
よく転売ヤーは叩かれますが、その頃の僕にはそれしかなかったんです
他に自分で自分が人に縛られずに生きる為に稼ぐ手段がありませんでした
とはいえ、中学生じゃ買取もして貰えません
なのでそこは大人に頼みました、もちろん10%払って
今思えばそんなのちょっと頼めば無料でやってくれる人はいくらでもいると思いますが、ここでも僕のフェアプレー病が出ていたんですね
相手にメリットの無い事を頼むという事自体が自分の中で有り得ない事だったのです
お金が稼げる様になってから、ある程度の自由は手にしました
なぜなら親に刃向かっても、自分の飯代ぐらいは持っていたので困らないからです
そして中学二年の時、担任の教師と揉め学校に行かなくなりました
担任の教師が明らかに理不尽な筋の通っていない事を言ってきて僕は謝罪を求めました
しかし教師は生徒を見下してますし、自分が格下だと思っているガキの言う事なんかには聞く耳を持たずに謝罪しませんでした
僕は「謝罪するまで学校には行かない」と言いました
そうしたら担任は「なら来なくていい」と言いました
そしてそれから1日も行きませんでした
担任が何度か家に電話を掛けてきましたが、こちらが謝罪するまで学校には行かないと言い、なら来なくていいと言われた時点で謝罪をするかしないか以外に話すことなんて何もありません
なのに担任は僕を説得して学校に来させようとしました、今思えばなんて筋違いなんでしょうか、本当に
素直に自分の罪を認めて謝ればいいものの、教師のちっぽけなプライドを掲げて一向に謝ろうとしませんでした
そんな筋違いの態度に僕はキレて電話で何度か怒鳴り散らしたらもう電話も来なくなりました
卒業式にも出ていないので卒業証書も貰っていません、ある意味小卒です、その後高校には行きましたが
ここで僕は「宿題はやらなくていい」「学校にも行かなくていい」「親にも従わなくていい」「毎日好きな事が出来る」という今までにない自由を手にしました
今までの生活とは見違える程天国の様な生活でした
毎日7時に起きて片目しか開かない状態でパンを食べて寝癖のまま重い体で学校に登校していた日々からの一転です
毎日昼まで寝れて、起きたら親は仕事でいなくて、家にある好きな物を食べて、好きなカードゲームや転売をして過ごしていました
僕はこの時これ以上の自由はないと思っていました
しかし大人になった今、よく考えてみればそもそも国で暮らしている時点で「法律」というルールに縛られています
会社に入れば規則がありますし、スポーツにもゲームにもルールがあります
そんな中で生きている限り本当の意味での自由ではないんです
よく法律は犯してはいけない事だと言う人がいますが、僕はそうは考えていません
僕の考える法律とは、ペナルティであり、代償
つまりそのペナルティを受け入れるのであればやってもいい事なんです
例えば罰金1万円と言うのは、裏を返せば1万円払えばやっていい事です
ルールがある限りそのルールに反した時にはペナルティが生じます
しかしそのペナルティを許容出来るのであれば、それはすなわちやってもいい事になります
なのでどんな法律でも、その罰則、ペナルティを受け入れられるのであればやってもいい事になるんです
よくこういう話をすると倫理観の話を持ち出す人がいますが、倫理観の話をし出したらキリがないので僕は法律やルール、明確に定められた物でしか物事を考えません
倫理観を守ってもお金は増えませんし、何の得もないからです
逆に倫理観を破ってお金が増えるならその方がいいに決まってます
そもそも「それは倫理的にどうなんだ」とか言う人は、何か勘違いをしてるんです
人間は動物も魚も殺して食べています
それは倫理的にどうなんでしょうか
動物を殺しちゃいけない、魚を殺しちゃいけないという法律が無いから倫理的に良くないと思われていないだけであって、自分が生きる為に他者の命を奪っている事に変わりはありません
もっと言えば無人島で何も食べる物がない時に人の死体があったら食べるでしょうし、自分か他人どちらかしか助からない状況になったら間違いなく自分を選ぶでしょう
じゃあ果たしてそれは倫理的にどうなんでしょうか
「倫理的に良くない」と言うからにはどんな状況でも自分が生きる為に他者の命を奪わないと言い切れる必要があり、それは誰にも出来ない事です
つまり「倫理的」なんて言うのは人間が自分達の都合のいい様に設定した幻想でしかなく、自然界、世の中で生きて行く為にはそんな甘い事を言っていられないのです
僕は高校に上がってから、とりあえずありったけのお金を稼いでなんでも自分の欲しい物を買って好きな事をして自由な生活を送ろうと思っていました
誰もが望む事だと思います
しかしこの様な事に気付いてから、結局どれだけお金があっても国で生きる以上国のルール、法律に縛られて生きる事で本当の意味で自由とは言えない事に気付きました
とは言えお金は必要不可欠です
ですが、目的がお金では無くなりました
お金はあくまで手段に過ぎないのです
いくらお金があっても国は買えませんし、もっと言えばディズニーランドも買えません
めちゃくちゃ可愛い猫がいたとしても1億円出しても1兆円出してもその飼い主が譲ってくれなければそれもまた買えないのです
つまり大体の物はお金で買えますが、中には買えない物も存在するのです
なのでお金は行動の範囲を広げ、生活を豊かにする為のツールでしかありません
そしてより多くのお金を得る為にはより多くのお金を動かしている人達を動かないなければいけません
そしてより多くのお金を動かしている人達は当たり前ですがお金でしか動きません
これが世の中の仕組みなんです
これだけ聞けば、お金が目的ではなく手段である事がわかると思います
高校時代に僕のクラスメイトで「好きに生きればいいじゃん、自分の人生なんだから、やりたい事だけやってやりたくない事はやらなくていいんだよ」と言った人がいます
僕はその言葉を今でも鮮明に覚えています
彼は別に特別お金持ちな訳じゃないし、カッコよくもないし、恋人もいないし
でも僕から見てとても自由に見えました
今まで僕が感じていた自由は、自由に見えるだけで結局何かに縛られていて
彼は僕から見て本当に自由に見えたのです
恐らく彼はそこまで深く考えていないので自由である事が出来るんだと思います
知れば知るほど自由が無くなっていく中で、知らないという事が本当の意味で自由なのかも知れません
僕はその時に本当の意味での自由を知り得た気がしました、彼には今でも感謝しています
Ω
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