それは、家族全員で食べた ご飯の時間 ちいさなちゃぶ台を囲んで 嬉しそうにおしゃべりする 両親がまだ生きていて 音信不通のおとうとが 隣に座っていた頃 それでも いまでは、歳をとって 一人きりになってしまったけれど いっしょに わいわい言いながら ご飯食べてた頃 いちばんしあわせだった ばななさんが そんな記憶があるから 大人になってからも 困難に出会っても 生き抜く力がでるのも そんな記憶があるから って言っておられたけれど 本当に
今、通ってる歯医者さん お付き合いが5年くらい 阪大の先生で 技師さんは偶然 私と同じ広島出身 親切でやさしい 年に一回、全体のクリーニングして あとは3月ごとの検査 でも一番大切なのは 日々の歯磨き 歯磨き粉は技師さんのおすすめ これで劇的に歯茎が良くなった クリーニングも機械ではなく 昔なじみのがりがりと削り取る 亡くなって両親が入れ歯で苦労したので 歯医者さんは大切 ずっと通いたい
大橋トリオと矢野顕子さんとの作品 窓 家出した頃 よく聞いていた 窓を開けてくれた君 助けてもらったのは 僕の方かも 最後 君のいない時間を生きることが出来ない 泣ける 君がいなくなっても 図々しく生きて よかったのかな きっと天国で 笑顔の君がいてくれたらいい
ひとりきりの時間、何しておられますか 私の場合 自分の部屋で好きな本を読んだり コーヒー飲んだり ひとり暮らしなので 一日のほとんどが ひとりの時間 掃除したり ご飯作ったり 洗濯したり 一番好きな時間は 早朝 早起きの鳥の鳴き声聞きつつ ぼんやり過ごすのが大好きです 今日も生きてることに感謝
あんまり売っていないから 好きな歌を歌う イエローモンキーの名曲 Jamの一節です それで思い出したのが お父さんのこと 父は辛いことがあると 北島三郎の歌を歌っていました 子どもの頃 そんな父の姿、覚えています 今では亡くなって しまったけれど 父の娘であること 誇りに思えます このイエローモンキーのJam リーダーの吉井さんの娘さんに宛てた曲 きっと娘さんもお父さんのこと 誇りに思われだろうな 最後まで読んで頂きありがとうございました
先日、朝、散歩していると、ゴミ収集のおじさん見かけた 一生懸命走りながら、ゴミを車に放り投げつつ その姿 忘れられない 懸命ない姿 こころに響いた
ある時、精神科の先生に 落ち込んだり、不安定になった時はどうしたら良いですか と聞いたところ、まず、外は出て気分転換 コンビニに行って、お菓子買って帰ると いいんじゃないかな * 先生はいつもやさしい 今度、不安定になったら コンビニにゴー
毎日、電話している友人 山口さん 暇人の私がおもろい話しをつくって 二人で大笑いする毎日 山口さんは 爆笑して 仕事頑張る元気出ました やさしい気持ちになれるよ と言ってくれる * 山口さんと出会ったのは今年の4月 通っていた精神科のお医者さんの 受付をしていたのが、山口さん ある日、不安定になり、先生に相談しようとしたら 先生、多忙で、山口さんに相談したところ 安心できたので それからは山口さんに相談することになった 山口さんは40代半ば 受付でありながら 雰囲気作り
青天の空 海のように広い空 私の幸せを願って祈ってくれている空 とても美しい空 ありがとう とても幸せな気分 みなさまといつまでも 今日の青天のように 気持ちよく力強く暮らしたい ありがとう ありがとう とても幸せな今を 一緒に送りましょう 亡き母の詩より
ふるさとは遠くにありて思うもの 私のふるさとは広島県北部 中国山脈のふもと もう8年も帰っていない いつも脳裏に浮かぶ景色 おにぎり山があり ふもとには川がゆっくり流れて 川のほとりでは 散歩コースになっている土手がある 春には、土手にある桜が咲き 夏には、新緑の季節 秋には、枯れ葉が舞い落ち 冬には、雪がたくさん降る そんな平凡な風景 もう見ることができない ふるさとの風景思い出す度に 泣けてくる 時が経てば、またあの懐かしいふるさとに帰れるだろうか
昭和42年冬、私が生まれた時 親戚のみんなが喜んでくれた 他の赤ちゃんと同様、平凡だが、祝福された赤ちゃんだった * 母の話しによると いとこのあきちゃんがわかめスープを鍋ごと 病室まで持って来てくれて嬉しかったそうだ ほかの親戚のおじさん、おばさんも 私の顔を見て 哲雄、父のことです、にそっくりと言われて 嬉しかったそうだ * 母が赤ちゃんの私を連れて家に帰った日 初めて父が私にスプーンで白湯を飲ませたら 私の閉じていた目の片方が開いて にっこり笑ったそうだ 父はこの話しが
池の辺りにある 高槻日赤病院緩和ケア病棟 母がそこに入院したのは 2019年3月17日 全室個室でテラスに面したお部屋 テラスからは池があり、その辺りには木々がおいしげって 鳥の鳴き声 木々のざわめき 風の音 森の中の別荘のような場所だ そこで12日過ごしたのち 母は天に帰った 入院中は、美味しいご飯 お風呂に寝たまま入れてもらって嬉しそうだった 看護師さんは、母を居心地のよいようにするには 手間を厭わず ベッドをウオーターベッドにしてくれて そんなところ良かった
ある日、お巡りさんと話しする機会があった 毎日、いろんな人を助けておられるお巡りさん 尊敬してしまう そのお巡りさんに 人生に絶望してしまった時 どうしたら良いですか 聞いてみた お巡りさんは、少し考えて 一日一個でも発見を見つけて過ごすと 感謝の気持ちも出てくるし 生きがいにもつながるね とお答え なるほど 日々、発見しつつ おもしろいことも考えつ 生きていきたい お巡りさんありがとうございます やっぱりお巡りさんは頼りになる 最後まで読んでいただきありがとうございまし
母のお墓参りに京都まで 東山にある知恩院の納骨堂 すごく暑い8月の終わり 車に乗って行ってきました 到着すると 納骨堂の前にある池には 色とりどりの蓮の花 きれいでした 母と最後に知恩院にお参りに行ったのが 2018年8月 母と行った時も蓮の花が咲いていて その1年後母はこの世からいなくなりました 1年の無残な運命に泣きたくなります あれから5年経っても 納骨堂に行くと 母に近くにいるようで嬉しくなります 今年も蓮の花に慰めてもらった気がしました 最後まで読んで
今年の4月に開院したM先生の精神科のクリニック 先生が独立されるのを知って転院することに 先生は40代半ば、親身に話しを聞いてくださる ファンも多い 先生のところへ通うようになった ある日 ここを温かい場所にしたかったんだよね と言われた 先生に助けてもらったこと 何度もある いつも弱気の私の背中を押してくださる 先生の存在だけで 温かい場所になる 先生、ありがとうございます これからもずっと通いたいです
私が生まれたのは昭和40年代 みんなに祝福されて生まれた 一番嬉しかったのは 当時、市民病院に入院しておられた ますだのお爺さん 結核でお爺さんの病室までは連れて行けず 母の案で 市民病院の駐車場で私を抱いて お爺さんに見てもらうことにした お爺さんの病室から駐車場が見えて 今は亡き父に抱かれた赤ちゃんの私 隣にはますだのお婆さんと母 みんなが笑顔で よかった 大人になって 辛いことがあると この話を思い出して シャカリキに頑張って生きてきた あの時 駐車