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22歳#02 「石の上にも3年」

期待とは裏腹にうまくいかない社会人1年目。22歳。


名古屋から離れ、期待に胸膨らませながら東京での社会人1年目がスタート。5月のGW休暇明けから、いよいよ配属。出勤先は、東大赤門で有名な本郷三丁目付近。出版社や書店も多く、広告会社として縁起がいい土地らしい。
同じ部門に配属された同期は、私含めて4人。皆、東京在住経験あり。一方の私は観光で数回きたことがある程度。内心「名古屋にもいたし、それなりに都会耐性あるよ?」などと思っていたが、1週間後の営業同行初日、交通系ICカードを持っておらず、改札でモタモタするという恥ずかしい経験をしたところから東京生活は始まる・・


配属2週間目。寝坊をした。
目覚めたら出勤時間だった・・新人研修の習慣で、毎日7時出勤-22時退勤といった生活をしていた疲れが溜まっていたせいか、やってしまった・・
上司からの電話で目覚め、メイクもせず、電車に飛び乗り、起床から20分後には半べそをかきながら出社。事務所のセールス全員が出払ったオフィスに、係長1人が待っていた。強面の上司で、いつも仏頂面で仕事をしている印象から大目玉を食らうものだと覚悟していたが、全く怒られなかった。むしろ微笑んでいた。ありがたかった。叩き上げで出世してきている上司なので、もしかしたら自分の若かりし頃を思い出していたのかもしれないと思いつつ、それにしても係長と2人きりで過ごす気まずい空気はなんとも言えなかった。
この日以来遅刻はしなくなった。


営業マンとしての1歩を踏み出したが、新規サービスの知名度がないオウンドメディア、かつSEO(検索優位性)も弱かったこと、何より自分自身の営業力もなかったため、全く売れなかった。
値下げをしたり、お願い営業をしたり、できることはなんでもやった。とにかく足で稼ぐしかないということで、地域のフリーペーパーをかき集め、広告掲載事業者をリストアップして、架電、訪問、飛び込みする毎日。
あまりにも泥臭い仕事に、「こんなことやって意味あるんですか・・」と1つ年上のメンターに愚痴ったこともある。先輩も同じ状況ながら、「つべこべ言わずにやるの!」と宥めてくれた。正直、納得感はなかったが、不満ばかり言っている自分が情けなくなり、とにかくやれるだけ頑張ってみようと心に誓った。何より公私共に気にかけてくれる先輩のことが好きだった。


東京から静岡に遠征。
朝9時から夕方18時まで5〜6件近く、伊豆半島の営業先を回った。ヘトヘトの中、夜21時に営業戦略会議が開かれるということで、伊豆半島を一周した足で営業所に戻った。当時はリモート会議という習慣はなかった。
戻ると、営業進捗の共有や売れる手立てはないか?という話し合いが行われるのだが、営業戦略とは名ばかりで、ただの問い詰めるだけの時間が永遠に続く。当然ながら全くいいアイデアは出てこない。この日は、それだけで終わらず、営業マンとして鳴かず飛ばずの私が槍玉に上げられた。受注ができないのはロープレ不足ではないか?という係長の一言から、深夜に所員全員の前でロープレをさせられた。上司のイライラした雰囲気、重々しい空気感に気圧されて言葉が全然出てこなかった・・シンプルにつらかった・・
やり場のない怒りや悲しみや悔しさが込み上げてきたが、お酒を飲んで発散する気力もなく家に帰り、枕を濡らした。


他にも、忘れられない苦い思い出がある。2009年の8月開催の嵐の伝説的なライブ(ARASHI Anniversary Tour 5×10)のチケットが当たったにも関わらず、何もできない新人が有給を取るなんて・・と行かなかったことだ。1つのプロジェクトの営業が大詰めだったことや、当時は上司先輩方も休みはほとんど取っておらず、有給休暇は、風邪を引いた時ぐらいしか使われていなかったこと、むしろ休日出勤や自宅で仕事は当たり前だったため、休みたいと言い出せなかった・・長い人生の内、たった1日休んだところで何が変わるわけでもないのに・・

数年経って独り立ちできるようになってから、改めて振り返ると新人の何もできないうちこそ休んでおけばよかったと感じている。

このライブは、嵐の歴史の中でも記憶と記録に残る伝説的なライブになった。ああ、私もいたはずなのに・・・
この出来事は、その後に続く20年弱の社会人人生の中でも1、2位を競うぐらい後悔している。ただ、この出来事のおかげで、後輩や部下には積極的に休みを取るよう勧められるようになった。


他にも色々あるが、思い返せば返すほど、なかなかのブラックな環境・仕事だと思うが、それでも辞めなかったのは、石の上にも3年と言い聞かせていたから。昭和気質なマインドを持っていた。
ちなみに、全国に散らばった同期40名のうち約半分が1年目で退職した。もちろんその中には、同じ部署に配属された同期もいた。幸か不幸かはわからないが、周囲に流されず自分は自分、という軸と負けず嫌いな性格が仕事を続ける原動力になっていた。

こうして決してキラキラしているわけではない私の東京生活が始まった。

大切にしていたこと
・自分が信じる自分を信じる。周囲に流されない
・大切にしたい縁は大切に。切れる縁には執着しない
・石の上にも3年。まずは実践し学ぶ

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