_仮説_を立てると__失敗_がなくなる

「仮説」を立てると「失敗」がなくなる

行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る


と聞いて「ん?」と思う時ないですか? 


僕はあります。ちょっと乱暴しやすぎませんか…。と思う時結構あります。なので、この言葉に感じた違和感と、それに変わる言葉を考えたのでメモっておきたいと思います。


「行動しなかった後悔」が大きい時もある


早速ですが、例えば、そこまで仲良くもない友人に飲みに誘われたとします。

・10人程度で
・みんな仕事ができる人&いい人
・きたら絶対勉強になる&楽しい
・人脈作れるかもよ

みたいな事前情報を伝えられる。


あまり気乗りはしません。「行きたい!」とはならない。でもそこであの言葉を思い出します。


行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る


真面目、かつ、断るのが苦手なあなたは、その言葉に思考の主導権を預けます。


そして飲み会にいくわけなんですが、全然楽しくない。集まった人とは波長が合わないし、話も面白くない。唯一の知り合いである友人も席が遠い。「すごいですね」「面白いですね」とオートで言葉を吐き出す。


帰りの電車で「そもそも人見知りだし、こんな飲み会に来ること自体が間違っている。でもいつも断れない。ああなんて自分は意思の弱い人間なのだろう」と落ち込む。


結果、飲み会にきたことを後悔する。


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辛い…。これは完全に


行動した後悔>行動しなかった後悔


ですよね。反論の余地があることは重々承知なのですが、行動した後の後悔の方が大きいこと、結構あると思います。


じゃあなんでこの言葉が多用されているかと考えると、行動できない人を行動させるのに便利な言葉だから。だと思ってます。でも、上記のようなパターンもあり、ちょっと無理があるなあと。


じゃあ、これから行動できない時に拠り所となる言葉はないのか。いや、あります。それが、


「仮説」を立てると「失敗」がなくなる


です。説明していきます。



仮説を立てる


普段、WEBの編集者として、日々コンテンツを作っています。そしてコンテンツ作る特には、必ず仮説を立てます。


・コンテンツを作ると、事業に〇〇の観点で貢献できそう
・そのためのコンテンツは〇〇だろう
・だとすると○○の方に届けるのが適切そう
・〇〇を使用して届けると最適そう
・○○という切り口で作ろう
・作り手は○○さんにお願いしよう


めっちゃざっくりですが、こんな感じ。(仕事ではもっとちゃんと作ってますんで…!)


作ったら公開します。当然、結果がよかったものと、よくなかったものがあります。


そこでよくなかったコンテンツに対しては、データを見ながら振り返りをやります。


・コンテンツを作ると、事業に〇〇の観点で貢献できそう
⇨そもそも事業の課題を解決する最適な打ち手はコンテンツなのか?

・そのためのコンテンツは〇〇だろう
⇨コンテンツの内容間違った?

・だとすると○○の方に届けるのが適切そう
⇨届ける人を見誤った?

・〇〇を使用して届けると最適そう
⇨届け方(チャネル等)は別の方がよかった?

・○○という切り口で作ろう
⇨違う切り口の方が適切だった?

・作り手は○○さんにお願いしよう
⇨違う作り手の方が適切だった?


こんな感じ(仕事ではもっとちゃんと以下略)。ようは仮説の検証をするわけなんですが、これをやると必ず何かしらの知見が得られます。獲得した知見は、次の仮説を強くします。この仮説⇨検証⇨知見の獲得のサイクルをぐるぐる回すと「理論」や「法則」が生まれます。


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よって、仮説を立ててコンテンツを発信すると、

成功(良い結果):よかったね!
失敗(悪い結果):知見を獲得⇨理論や法則に近づいた!

となります。つまり、成功しても失敗しても、どちらでも行動したメリットが得られるのです。むしろ失敗した時のほうが理論や法則に近づくので、メリットが大きいとも言えます。そしてこれはコンテンツの発信だけでなく、普段の生活においても同じことが言えます。


失敗は「知見の取得」


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こちらが行動とその結果における普通の認識だと思います。こう考えがちですよね…。僕もよくやってしまいます…。


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ですが、仮説を立てると、失敗が「知見の取得」に変換される。つまり、


「仮説」を立てると「失敗」がなくなる

こうなります。



なので、もし行動を起こせない場合は、何かしらの仮説を立ててみると良いと思います。仮説を立て、失敗の概念をなくす。これだけです!

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お松
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