タイトルが思いつかないからそのままタイトルにしてしまおう。

 小学校高学年のころから、趣味といえるくらいには本を読んできた。中学では周りも読み始め親に買ってもらった本を貸し借りしていた。実家の二階にある大きな本棚にはかなりの数の本がある。父のものだ。その一角には途中まで集めたドラゴンボールやメジャーなどの漫画も無造作に置いてある。  

 そんな父の影響もあって本を読むようになったが、大学に入学してからめっきり読む量がへった。エントリーシートの趣味の欄には「読書」と書いてはいたが、実際には高校で止まっていたため面接でそのことを聞かれると口ごもったこともある。

 転職活動が落ち着き、以前よりは時間に余裕ができたためまた本を読み始めた。ちなみに読書といえど読むのは小説のため、読書オタクからしたら「そんなのは読書家とは言えない」と怒られるだろう。
 最初は読む体力がなく、なかなか続けて読むことが難しかった。しかし、毎日活字に向き合うことで、1時間半の通学時間をすべて読書につぎ込んだあの時の感覚が戻ってきた。立派とは言えないがある程度年齢を重ねたことで思い浮かべる情景の幅が広がったように感じる。

 そんな形で復活した読書だが、結局多感な時期に読んでいた作者のものが読んでて楽しいと感じる。特に好きなのは東野圭吾と伊坂幸太郎である。このnoteを書き始めたのは、東野圭吾の作品を読み終わった直後である。

 先ほどまで読んでいたのは、東野作品の中でも傑作の呼び声が高い「容疑者Xの献身」である。ガリレオシリーズとして映画化もされたため知名度は高いのではないだろうか。映画版は何度も見ており、大まかな流れや結末は頭に入っている。そのためこれまで読んでこなかった。そんな自分を思いっきりひっぱたいてやりたい。本作は小説と映画ではまったくもって心に残るものが違うと断言できる。
 本作は大きく言えば愛についての話であるが、おそらく自分の人生において、これほどまでのゆがみつつも強大な愛を感じることができないのではないかと落胆した。正直、人を愛することのハードルが上がりきってしまったように感じる。これがフィクションであるということが唯一の救いだ。
 東野圭吾のミステリー系の作品をよく読むが、ただ読後に爽快感をもたらすだけではない。その作品の登場人物の人生や価値観を考えさせられることが多い。フィクションであることは分かっているのに。

 人生の中でもずっと心に残る作品であろう。読書は他の受動的なエンタメより体力を使うが、その分与える影響は大きい。今回は「容疑者Xの献身」を読み終えたそのままの勢いで書いているが、そのほかにも紹介したい本がいくつかあるので、次回はその本について書こうと思う。

読み返してみると、何となく小説っぽい文体になっている気がして少し恥ずかしい。まあいいか。
これからも、好きなもののために書いていくことにするよ。

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