nico
Noteを始めてから1年間の記事を集めました。 50歳になって、振り返って考え、感じたこと。
朝5時。うぐいす、ひよどり、ほととぎす。からす、すずめ、はと。あまがえる。 季節毎に変わるいろんな声の合間に、遠くでトラックの走る音がする。飛行機の起こす大気の音がする。 まだ日は昇っていない。庭はうす青く、露に濡れている。 私の庭仕事が始まる。 結婚して新しい家に来たとき、土地は一面の砂利だった。 好きな風に草花を植えられるのが嬉しくて、庭の形を絵に描いた。 夫が土を掘り、私が苗を植えた。 できあがった庭は、粘土のような赤土と園芸用土が混ざって、まだぎこちなく見えた。
眠れないので、古い茶葉を使って、ほうじ茶を作ってみることにした。 夜の台所にひとり。 夫から譲り受けた、古い卵焼き用のフライパンに、茶葉を入れる。 検索したレシピを見ながら、弱めの中火にかける。 葉っぱから煙のようなものが立って、びくっとする。いや煙たくない。湯気みたいに、茶葉の水分が飛んでいるらしい。 うちは夫が料理担当で、とてもおいしい食事を作ってくれる。 台所は、夫の部屋のような気がしている。わたしは好きなお菓子を作るために、ひとりの朝食を作るために、ちょっと失礼し
メルカリを眺めていて、アップされてきた植物の写真に、はっとした。 針金のような細い茎に、小さなシダのような葉がたくさん。写真たちのカテゴリ欄には、カニクサ、と書かれていた。 カニクサ。初めて目にする名前だが、この草姿は、私にはとってもおなじみだ。 庭の羽衣ジャスミンの脇にいつの間にか生えていて、切っても切ってもすぐ伸びてくる。強靱すぎて抜けずにいるうちに、ジャスミンの茂みに混ざって、そのうちジャスミンよりも目立つようになってしまって、困っていたのだ。 試しに検索してみると
ようやく昼間でも風が涼しくなった。日光はやわらかい雲がかかって、薄く弱くなっている。 いつもより遅くなったが、今年はどうだろう。 お目当ての植物は、いつもはあかるい黄色に輝いていて、すぐ分かる。今年はずっと暑かったからか、まだ葉っぱが緑色のままだ。 でも、私はちゃんと覚えている。小柄な葉の、細いスペードの形。なぜか、ちょうど良く人の手が届く場所に伸びる蔓。・・・あった。 表面から見えなくても、蔓をそっと持ち上げると、裏側に、ほら。にぶく光る、小さなじゃがいものような、むかご。
庭のハーブを、メルカリで売ってみることにした。 ハーブにまつわる作業が好きだ。飾ったり、お茶にして飲んだり、お菓子や化粧水を作ったり。特に好きなのは、摘み取った葉を乾燥させるため、ひとつひとつ選り分けてかごに並べる作業。爽やかな香りに包まれながら、何時間でもこうしていたいと思う。 50歳を機に転職し、自分の時間がたっぷり取れるようになったので、思う存分作業を楽しんでしまい、かくて、自分が使う分をはるかに超える量のドライハーブが完成してしまった。それで、思い切って、販売してみ
50歳を超えた今、自分軸で生きることが、人生の鍵であるように思う。 「周囲の期待に応えたい」 「もっと周囲に認められたい」 そういう動機は、社会的な常識を鍛えるためには大事なことだし、モチベーションも上がる。 しかし、それは成長していく時期にこそ力を持つものであり、働き盛りの時を過ぎると、苦しくなってくる。 今まで認められてきたことが時代遅れになり、通用しなくなっていく。 「この社会はどうなってしまうんだろう」 「自分はどうしたらいいんだろう」 そういう不安が増すばかりになる
最近好きになった著述家に、ノンフィクション作家の宮下洋一さんがいる。 「尊厳死」「安楽死」に興味を持ち、調べだしたのがきっかけだ。 いろんな方の本を読んだが、宮下さんは、信頼できる、と思った。それは彼が、欧州と日本、医療従事者と患者、死にゆく者と生き続ける者、自分の命を自分でコントロールすることに賛成する者と反対する者、そのどれにもコミットし、自分自身の思いに正直に、分からない時は分からないと、自分なりの思いが形をなしたのならその思いと、ひっかかりや揺れがあるならその感情と、
森を歩いていたとき、友人が言った。 「前は、自分という輪郭が、もっとはっきりしていて、自分と他は別物だった。でも最近、例えばこの木とか石とか、そういうものと自分はけっこう繋がっているんじゃないか、と感じ始めたの」 私は、それは私たちが50代になったからではないか、とコメントした。 自分にとって、50歳という節目は非常に大きい。 ある人は、人生を4つの季節に例えた。私の場合はどうか考えてみた。 10代までは春。 20~40代は夏。 50~70代は秋。 80代からは冬。 そんな
夫と旅行に行った。夜、ホテルの近くの居酒屋に行く。 どこにでもありそうな居酒屋だけど、自分たちの住む地域には無いチェーン店。 オレンジ色の電灯と焦げ茶色の木目。すだれで仕切られたたくさんの個室から聞こえる声は、会話こそ聞き取れないが楽しそうな雰囲気が伝わって、店内を賑やかな空気にしている。 個室のひとつに案内され、ノンアルコールの酎ハイ風飲料を注文する。 考えたら、長女が生まれてから、夫と2人で旅行したことが無かった。 そのことを夫に言うと、あれ、そう?と首をかしげる。○○
急に涼しくなったので、秋用のローテーションを考えた。 朝夕の時間を、朝はガーデニング、夕方は散歩に充てることにした。 職場の通勤途中に、大きめの公園がある。 仕事帰りに、そこを歩いてみることにした。 9月の夕日は小さなちぎれ雲に遮られて、柔らかい。風も、ぬるく柔らかい。 犬の散歩をする人、子どもを遊ばせている人が遠くに見える。 グラウンドゴルフ場の横を歩く。 心地良い間隔で、幾種類かの木が植えられている。いろんな形の枝が、揺れている。桜は分かるけれど、そのほかの木は分から
台風が来る来る、と言いながら、なかなかやってこない。 たまにザーッと雨が降り、でもそのあとはそよ風が吹いている。 そよ風の時間に外に出て、レモンバーベナを収穫し、ざるに並べた。上品なレモンの香りが部屋に満ちていく。 さて、このレモンバーベナが乾燥したら、ストックが溢れてしまう。友だちにお裾分けしたとしても、まだ余りそうだ。 考えた末、香草袋を作ることにした。 ハーブの棚を見回し、いくつか手に取る。 レモングラスとペパーミント。これらもたくさん採れすぎた。 ラベンダーの茎。こ
生まれてから今まで「学区」を離れたことが無く、仕事以外で都会に行ったことのない私が、初めてプライベートで東京に行ってきたので、その感想を綴る。 以下は、前編の続き。とんちんかんなことを書いていると思われるかも知れないが、私にはこう見えたのである。 *** 翌日、別の友だちと東京駅で待ち合わせた。赤坂見附駅から東京駅へ向かう途中、私は「ラッシュアワー」というものに巻き込まれたことに気づいた。 ラッシュアワーがこんなに凄いとは思わなかった。昨日(休日の昼間)の渋谷駅周辺でも
私は生まれてから今まで「学区」を離れたことが無い。そのぐらい一緒のところで暮らし続けている。 場所は田舎である。どのぐらい田舎なのかは、自分では分からない。車で10分以内の場所にコンビニが4つとスーパーが1つと無人駅が1つある。もう少し広い定義で言うと、政令指定都市ではなく、政令指定都市のベッドタウンでも無い。それより田舎ということだ。 現時点で、日本で私と同等かそれ以上の田舎に住む人は、全体から見ると少ないと思う。自分から都会へ行こうとしない人の割合は、もっと少ないだろう。
夫が花火を観に行かないというので、早めに寝ることにした。 電灯を消した寝室で、花火の始まる音がした。 ふと、花火を聴いてみたらどうだろうかと思いついた。音楽を聴くように、耳を準備する。 どーん・・・・・・・・・・・ 遙か遠くの夜空で、遙かな爆発が起こる。一拍の静寂のあと、・・・おーん・・・おーん・・・おーん・・・おーん・・・ と、規則的なこだまが聞こえる。大気がなめらかに波打ち、同心円を描いて広がっていく。 こだまと同時に、パラパラ、パラパラ・・・・・と、固い豆をこぼし
2人の子どもが巣立ったので、少しずつ、片付けをしている。 子どもが使っていたもの、子どもの作ったもの、子どもとの生活の中にいたさまざまなものたち。 奇想天外な作文は厳選してクリアファイルに入れ、絵は1人1枚ずつ残して飾った。 大体片付けたと思っていたのに、布団をチェックしてみたら、たくさん出てきた。湯上がりの赤ちゃんをくるむタオル、スリングという、当時流行っていた、袋状のだっこひも。小さな布団、たくさんのひざかけ。 蚊帳も3つ。蚊があまりに多いので、子ども用に使っていた時があ
ここで言う「物語」は、その人が生きるための心棒のようなもの。正確な認知、というよりは、色眼鏡に近いものである。あなたはどのように世界を見ますか?ということである。 人類がここまで発展してきたのは、物語を作り出して集団で共有することができたからだ、と言う人がいる。土地の精霊が自分たちを守ってくれる、といった素朴なお話から、集団の起源を明らかにする神話、国家と繋がった宗教まで、多数の人間が共通の物語を持つことによって、集団としてまとまり、繁栄を築いてきたと言う。 科学の発展によ