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毒を吐く その25 供述調書

目の隅で、右上方に火花を感知し、同時にバリバリとジジジジとの間に聞こえるような異音がした。一瞬雷かと思ったが、そんな天気ではない。
わたしは一時間ほど前、市の公園の駐車場に車を停め、市のはずれにある工場団地から田畑地帯を歩き回って、道端の草花の携帯写真を撮っていたのだ。
直ぐにもう一度、空に火花が散り、異音がした。ほどなく、とてつもない異臭がしてきた。生涯一度も嗅いだことのない匂いだった。火花よりも異音よりも、この匂いで頭の中にアラームが鳴り響いた。多分火花と異音は雷鳴の経験から、未経験のカテゴリーに入らず、異臭は未経験だったので、心が怯えたのだろう。
「何か変だ変だ、おかしいおかしい。」と火花の方向に向かった。駐車場へ戻る方向でもある。

ある工場の門構えの内側に、高所作業車が脇に転倒防止の脇脚を出して停まっており、高所作業用クレーンの上に作業箱のような装置があり、人がいて、電線を跨いで、上半身が垂れ下がっているように見える。
わたしは徒歩者だが、丁度その時、門の前に軽自動車が停まり、初老の男性が降りてきた。野次馬一号である。わたしは心臓をバクバクさせながら走り寄り、「どうしたらいいでしょう?」と彼に尋ねた。彼は「あれは駄目だな。電話しなさい。」といったような内容をいい、すぐに走り去った。
彼の冷徹さと面倒を避ける狡さに一瞬唖然としたが、ともかく電話である。
今でも、警察に電話したのか救急に電話したのか、思い出せないが、電話し、必死になって状況・場所・氏名を尋ねられるままに答えた。上にいる方は動かない。電話の途中の状況説明の際に、「腕が燃えてます!」と言うところで大声になり、とうとう泣いてしまった。電話の相手は、流石にプロである。すぐにわたしを落ち着かせ、ほんの少し前に既に第一報が入っていて、救急車とパトカーが現場に向かっていること、兎も角そこで待機することをお願いされた。

工場の受付からも男性が出てきている。わたしは門の中に入っていいか、待機するように言われているといい、門の中に入った。受付の人は外国人であるようだった。
わたしはなんとかしたかった。車の周りをうろうろし、上にいる人の同僚を探したが、誰もいなかった。高所作業車の作動装置は、二つ折りになっている当事者のいる箱にあるようだった。おろおろしただけで何も出来なかった。あとになってからわかったことだが、電線に触れているので、救助のために付近一帯を停電にする措置が必要だった。素人が何もしない方が二次事故を起こさなくて良かったのだ。

電話の相手に落ち着かせてもらったわたしは、恥ずかしかった。30年も二か国で会社勤めをして、一応の社会経験も積んだ筈だ。いい年をして、全く!
ドイツで受けた緊急対応訓練を思い出した。先ずは当事者の生命救助だが、これは不本意ながら手が出せない。訓練では、緊急車両を要請した際、公道に出て緊急車両の誘導をして、一瞬でも早く救助隊員や消防隊員が負傷者や現場に辿り着いてもらうことが大切である。
わたしは門の外に出て、サイレンを鳴らしながら近づいて来る救急車とパトカーに大きく手を振り、ここだここだと示した。

緊急車両は工場内に停車し、救急隊員たちは上を見上げている。若い警察官が画板のようなものの上に紙を載せて、近づいてきた。緊急通報をしたかと確認されて、肯定する。
事態の進展が、アドレナリンショックから段階を変えたらしく、立っていられない気分だった。警察官に、座らせてほしいとお願いし、現場を視界から外した工場の花壇の縁に座らせてもらった。直ぐに救急隊員の一人が近づいてきて、大丈夫かと尋ねてくれた。
わたしは何度も、ちょっと眩暈がしただけで、何でもない、平気だと繰り返した。彼はプロの目で顔色等観察したのだろう、現場の話し合いに戻っていった。

警察官は二手に分かれて事情を聴いているようだった。つまり第一報をした受付にいた外国人(あとで中国人の方々と教えてもらった)と、直後に第二報を入れたわたしとにである。受付の人には受付事務所内で尋ねているらしい。わたしは、若い警察官の心配りで、事故現場が背中になるよう駐車されたパトカーの後部座席に座らせてもらい、警察官は前席に座って、上半身をこちらに向けて色々と聞かれた。驚いたのは、何故ここにいるのかという最初の質問で、一瞬事件には関係ないだろうと思ったが、関係者の識別に必要なのだろう。正直にX(旧ツイッター)で植物写真をポストしているので、道端の花を撮るために歩き回っていて、事故を目撃したのだと証言した。自分のアカウントも見せた。
その後、どういう状況で通報に至ったのかを微に細に訊かれた。段々わかってきたのだが、第一通報者たちは、日本語が達者ではなく、警察官の調書作りに、日本語が出来るわたしの証言が重要性を増したようだ。特に事故発生時刻については、この写真を撮った直後に火花と音を感じたと、写真の撮影時間を示して、それが事故発生時刻となった。
途中で、緊張のあまり3回も工場のトイレを拝借し、また喉が渇くので、工場の自動販売機で飲料を購入することも許された。ただ、パトカーの後部座席は、一見わからなくても、自動的に鍵が掛かり、内側からは開けられられないのである。トイレに行こうと開けようと頑張っているわたしに、前席から同僚と相談に車外へ出ていた警察官は、外から開けてくれて、「中からあかないんですね?」というわたしの無邪気な質問に、「悪い人が乗りますから。」と答えた。

証言途中にそおっと振り返っても、事故現場は事情が動いていない。付近一帯の停電措置を待っている。パトカー内で「あの方は?」と尋ねたら、警察官は「わかりませんが…」と、充分にニュアンスを込めたイントネーションで答えた。

あれやこれやで、随分待って、警察官が書類と共に帰ってきた。供述内容を警察官が文章にしたので、内容を確認して署名するのだ。まるでわたしが書いたような一人称の文章で、事実が大変よくまとまっており、感心したが、異様な匂いのことだけが抜けている。あれが引き金だったのだから、入れてくれないかと頼んだ。警察官にしてみれば、匂いは証拠や事実という範疇に入らないのかもしれないが、すぐに書き加えてくれた。

三時間たって、供述調書作りは終わった。警察官が、見送ってくれるという。
パトカーを降りて、事故現場で、深くお辞儀をした。警察官は待ってくれた。
野次馬が近づかないように張られた黄色のテープをくぐり、周りの人だかりが終わるところまで警察官はわたしをエスコートして、もう一度協力に感謝すると言った。

街で高所作業車を見る度に、あのときの無能感、あの方に何も出来なかった後ろめたさ、痛ましさが蘇る。高所作業に複数の方々が従事していると、少しだけ安心し、「ご安全に」と心の中で願う。

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