毒を吐く その11 放浪癖
今振り返ると、子供の頃から放浪癖があった。
放浪はどちらかと言えば男性の方により多く見られる性質だと、自分では思い込んでいる。世に知られる探検家や冒険家は男性の方が多い。計画や目的が必要で、組織を伴って行われることがある冒険や探検(つまりリーダーシップが必要)と、個人が計画や目的なしに、どちらかと言えばフラフラと移動する放浪を一緒にしてはいけないだろう。でも、放浪者も、男性と女性では、男性の方が数が多い気がする。偏見の上塗りかもしれないが。
で、わたしは女性ではあるが、子供の頃から放浪癖があった。父親の猛特訓のお陰で、運動神経が物凄く劣ったわたしも、自転車が乗れるようになった。三人の子供に1台しかない子供用自転車であったが、第一子であったので、小学校高学年のときには、低学年の弟達とは違って行動半径が広くなっていた。朝から午後は自転車を使うと弟達に宣言し、お昼ご飯を済ませ、当てもなく自転車をこぎ出すのである。何回か乗り回すうちに、陽光と影の向きで方角がわかることに気がついた。そして曇りでも、家々は南側の窓を大きくとっていることに気がつき、曇天でも方向を定められるようになった。
何度かは勿論短時間迷子になったが、いつも何とか夕方には自宅に戻れていた。今日は北に向かおうとか、今日はこの用水路脇を辿れるだけ走ってみようとか、女の子にしてはかなり無謀なサイクリングをしていた。
両親は、この無謀なサイクリングに気づいていたのだろうか?サイクリング以外にもあちこちの図書館のカードを持って、何か所もの図書館から本を借りまくり、乱読もするような子供だったので、図書館に行っているとでも思っていたかもしれない。兎も角、必ず明るいうちに帰宅していたので、自転車で遠乗りをするなと禁止された覚えはない。
同じ頃、わたしは船の事務長であった祖父と同じように、客船のアシスタントパーサーになりたかった。女性であちこちの港を回れる職業として、憧れたのだ。
下の記事に既に書いた経緯で、諦めたが。
結局、学生時代に5年間、職業人として10年間、ドイツに滞在し、そこを拠点にあちこち旅行した。
また、帰国後も、自宅を拠点に、鉄道沿いに駅から駅へ歩いて、自宅に電車で戻り、後日到達点を出発点にまた先を歩くといったことを繰り返し、ある方向に合計300㎞以上徒歩放浪をしたこともある。
今は、車中泊を数日しながら、あちこちをフラフラしている。
植物が好きなので、道端の草花を写真に撮りながら歩いている。
Xにずっとポストしているので、宣伝させてください。
さて、世の中にはマグロの様に泳いでいないと死んでしまう魚がいるという。体形もそっくりだが、わたしも動かないと生きている気がしないのかもしれない。