今は無い国への訪問 その6 最初のDDR(ドイツ民主共和国)⑤ドレスデン
東ドイツの最後の訪問地は、ドレスデン。ここには知り合いが誰もいません。目的は、ツヴィンガー宮殿の宝物殿と絵画館の美術鑑賞まみれの筈でした。
「筈でした」というのは、全然違う方向に進んだからです。
東ドイツ入りして1週間余りが経ち、連日個人的ドイツ語集中講座を、朝から晩まで10時間くらい受けているような毎日でした。しかも明らかに初級者なのに、毎日中級コースを10時間です。
しかも、会う方会う方、善意に満ち溢れ、歓待しようと思いやりを尽くして接してくださる方々ばかりです。こちらとしても、大不足の語学力とはいえ、最大限の集中力と誠意をもって答えようとします。気疲れだけが空回りです。
食事は、日本と比較すると圧倒的に動物性脂肪が多い。特にバターがふんだんに使われている料理には慣れていません。
独りになって、緊張の糸が切れ、気の緩みで、押さえつけていた本来の体調が表面に浮かび上がってきたのでしょう。
到着して直ぐに、猛烈にお腹を壊してしまいました。わたしは中学生の頃からずっと過敏性腸症候群に付きまとわれていたので、お腹を壊していることが常態です。それでも、あ、こりゃまずいという程度のお腹の壊し方。
明らかな脱水症状と、身体のふらつきで、これはどうにかしないとと、あせりました。兎も角、外出なんてできません。トイレお風呂付の部屋で本当に助かりました。暫く逡巡した後、ホテルの受付に行って、病気なのでなんとかしてほしいとお願いしました。
数時間して、女医さんが、ホテルの部屋に往診してくれました。髪の毛をアップにして、眼鏡を掛けて、白衣を着ていない女医さんでした。
症状を尋ね、診察の後、薬をくれました。
たった独りになって、かなり調子が悪かったので、女医さんの前で、とうとう少し涙ぐんでしまいました。女医さんは、成人している女性が、たかがお腹を壊して涙目になっているなんて、と思ったのでしょう。ちょっと𠮟りつけるような口調になりました。でも、同情はしたのでしょう、自分の名前(R医師とわかりました)住所電話番号を渡してくれました。なんかあったら、連絡していいということでしょう。
最後に往診診察薬料を尋ねたところ、お金はとらないという返答でした。
社会主義の国だからなのか、外国人観光客にはそういうシステムなのかわかりませんでしたが、びっくりしました。
往診と処方された薬のお陰でしょう、美術館巡りは諦めなくてはなりませんでしたが、砂糖をいれた紅茶と白パンだけでも口にできるくらい回復しました。
最後に強制両替の東マルクを使うために、音楽店でゲヴァントハウスオーケストラ演奏のカセットテープを東200マルクに一番近く購入して、無事、西側に戻る電車に乗れました。
帰国してから、R女医さんに、御礼の手紙を出し、クリスマスカードの遣り取りが始まりました。父の知り合い以外に、初めて自分の力(?)で開拓した東ドイツの知り合いで、この関係は40年以上、今でも続いています。