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毒を吐く その12 分をわきまえる

副題を炎上覚悟で「阿呆は黙ってろ」にしても良かったのだが、このブログは家族への遺言でもあるので、末路を汚さないように、「分をわきまえる」にした。
触発してくださってのは、うぉると様(@wolt556)の下記のXへのポストだ。

わたしはXで植物の写真をポストし続けているが(https://x.com/ShirobanaT)、
植物の同定にGoogle画像検索を利用している。利用しているが信用はしていない。利用と信用は全く違う。利用して方向性を定めた上で、出来るだけ多くのソースに当たり、情報を自分なりに納得と消化した上で、発信している(つもりだ)。間違いもする。ご指摘大歓迎で、訂正発信も多い。

語句や事項の検索をした際に自動的に出てくるAIのまとめや、Wikipediaも参考にするが、信用はしていない。特にAIが出してくるまとめは、殆ど読まない。正しい情報からゴミ情報までくまなくインプットして、ならしたことを吐き出しているはずなので、せいぜい中級情報でしかないと思っているからだ。

子供の頃にはインターネットが無かったので、調べ物は辞書・図鑑・百科事典に手段が限られていた。
こういうものは、その道の権威の学者たちが執筆して、徹底的な校正を経ているので、ゴミ情報が混じる心配はない。
弱点は、権威者にだけ情報発信が限られていること、技術の進歩で情報自体の改変に追いついて行かないことだ。版を重ねるたびに改善はされるが、まさか図鑑を毎年出すわけにはいかない。

話を振り回すが、ドイツ滞在中に、片言もできない日本人旅行者が困っていたので、助け舟を出したら、「ドイツ語がお上手ですね。」と機嫌をとられたことがある。勿論礼儀正しく「ありがとうございます。」と返したが、心の中では「わたしの独語能力を判定するには、わたしに匹敵するか、それ以上の語学能力が無いとできない筈だが?」と、思いっ切り突っ込んだ。

何を言いたいかというと、情報の質を判定するには、最低でも本人にその分野の基礎知識が無いと無理だということだ。

SNSでの情報発信のフラット化は、基礎知識も能力もない人間がしたり顔で、昔なら友人や家族としていた与太話程度も不特定多数に発信することを可能にした。発信に反応する方も、基礎知識も能力もない人間が含まれ、センセーショナルに「バズ(buzz)」れば、情報の質に無関係に波紋が広がる。

だから、わたしはうぉると様のご意見に深く同意し、このポストに4万5千(2024年9月末現在)のいいねが付いて「バズ」っていることに、かすかな安堵を覚える。

能力に劣る程、自分の客観的立ち位置に気づかない。

思想・信条の自由は素晴らしい。尊厳と人権の平等も素晴らしい。
でも能力には差がある。
100m走なら、正規分布の右端にウサイン・ボルト氏がおられ、わたしは左側の裾野のかなり左端にいる。残念だが、決して山の中央部分にはいない。
そのわたしが、ボルト氏のフォームにコメントしたら、どれ程滑稽か。

発信する際には、「分をわきまえる」「相手がどう受け取るかを考える」を自戒にしなければと、自分に「阿呆は黙ってろ」と言い聞かせる。



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