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毒を吐く その28 ヒトはストーリーを求める

SNSのXから、離れて数日。毎日必ず数時間を費やした習慣が無くなったので、明らかに自分でものを考える時間が増えました。
父が昔、子供のわたしに、「下手の考え休むに似たり」とよく言っていましたが、その通りですね。

Xでは、花の写真を中心に見回っていましたが、時々、何故このような政治的見解になったのか、ある事項にこういう解釈を持つのか、どうしても理解し難い方々を複数見ました。
意見の相違はいいことで、多様性と思想言論の自由の表現型です。一方で、ちょっと調べたらいいのに、とか、専門の研究者の方々の論文等、一切読まずに、ど素人が先端研究の只中のテーマに関して堂々と私見を言い放つのはどうなのか?と心の中で独り言を言ったことを正直に告白します。

ヒトはわからないことがあると、不安です。わからないことをそのままにしておくことがとても苦手なのだと思います。だからストーリーを作り、それを信じようとします。

最も大掛かりなストーリーは「宗教」でしょう。「死んだらどうなるのか」「どう生きればいいのか」、この根源的な2つのわからないことの答えのストーリーが宗教と言えるでしょう。
そういう意味では、全ての学問も、ストーリーと言えます。自分も大学に合計11年間も在籍し、企業の研究所で30年間研究活動に従事したので、よくわかるのですが、新しいことを最初に発見するのは物凄い喜びです。まだ誰も知らないことを最初に観察すると、その瞬間は、身体が宙に浮くような気がしたものです。「わからないこと」から「わかること」へとストーリーを作って説明するのが学問とも言えるでしょう。

もうひとつ、大事な要素は、「自分は悪くない」という自己正当化と他責の傾向でしょう。これは自己保存の本能と深く結びついていると思います。自己正当化が怖いのは、気がつかないうちに、自動的にしてしまうことです。

「わからないと不安に繋がる」「ヒトはストーリーを好む」「ヒトは自己正当化をする」ということを唱えても、不安感が減ったり、滑稽なストーリーを探すのを止めたり、自己正当化の歪みを直せるわけではありません。
どれも、本能とまでは言えないにせよ、ヒトのヒトたる本質的な性質なような気がします。

せめて、わたしは、自分に「わからなくて不安になっていないか?」「無理なストーリー化をして納得しようとしていないか?」「自己正当化に偏り過ぎていないか?」の3点を自問する機会を、忘れないようにしたいです。


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