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仕事ネタ/変わったことやってたら、変わった人たちに見つけてもらえるはず
40手前で、何の縁もゆかりもない三重県は菰野町というところに移住したmitaniです。
菰野に移り住んで、出会った人達(まだまだ数は少ないですが)との会話の中で、改めて確信に変わってきたのが、変わったことやってる人のところには、変わった人が自ずと集まってくるということ。
変わってる ≠ 普通ではない
まずもって、誤解がないようにお伝えすると、「変わっている≠普通ではない」ということです。
価値観があまりにも多様化しすぎてる中で、何をもって「普通」とするのかはかなり定義が難しいということもありますが、あえていえば「マジョリティ」や「一般論」から少し外れたこと、と定義します。
承認欲求と共感
なんでもそうなんですが、周囲に理解してもらいにくいのでは?と思うことをやる時、ものすごく不安になると思うのです。
自分自身としては正解だと思っていても、それが他の人達に受け入れられるかは分からない。
生きていく上での社会性が求められるのが人間であり、必要以上に承認欲求を求めるわけではないものの、共感という名の支えは誰しもが求めるところだと思います。
ある意味マーケティングは、経済的活動の中で共感に基づく消費を、論理的な裏付けによって確度を高める側面もあるかと思います。
すなわち価値観の共感による行動促進の絶対数を最大化する化学的なアプローチがマーケティングということであれば、失敗を避けて最短距離で成功に向かうための強力な武器であることは否定できません。
「ロマンとそろばん」といえど、そろばんだけ弾いても何も始まらない
人は誰しも失敗はしたくないものです。
最初から失敗するとわかっていることに時間と労力をかけるほど無駄なことはないので、できるだけ失敗せずにチャレンジをしたいもの。
夢は大きく、リスクは小さく。
「ロマンとそろばん」なんて言葉もありますが、まさにそういうことなのかなと思います。
ゴリゴリにマーケティングによって、成功確度を限りなく上げることは、ある意味必然。
「成功するか失敗するか、わからないけど張ってみる」というのは単なる博打。
だけども、マーケティングの結果、成功の確率が低いとわかって「やらない」という選択肢を取り続けることで結果的に何も行動ができないということもあるのではないでしょうか。
言うなれば、ずっとそろばん弾き続けてる状態。
その結果、何一つ前進していない。というのも、よくある話。
リスクは考えた方がいいけど、気軽に行動したら、何かしら返ってくることもある
ある意味、反応が返ってくる場所に「当たり」をつけて、石投げるのが王道的なマーケティングの考え方とも言えると考えておりますが、今って適当に石投げても誰かが見つけてくれたりするものだと思っています。
仮に、一定のマジョリティには受け入れられるとは思えない、少なくとも自分が見えている景色の中だけでは圧倒的にマイノリティな共感しか得られないと思っていても、意外に誰かが見つけてくれる。
むしろ、それはテクノロジーが進化したからこそ、積極的に情報を取りにいくことができるようになったためにそれが可能になっているわけで。
そして、例えそれがとてもニッチだとしても、熱狂的な思い入れがあれば、そこに辿り着くための熱量も高い。
自分の見えている範囲の中で「変なこと」だと思っていることをやり始めてみると、むしろそれが「普通」だと思っている人が見つけてくれる。
リスクに対して敏感になることは大事だけど、発信することも行動することも、凄まじくリスクを低く実行することができるようになっているのもテクノロジーの進化のおかげ。
「ソロバン」弾いて最大公約の計算に明け暮れるより、むしろ「ロマン」を信じて、小さくでも行動した方が、成功確度は上がるかもしれない。
「失敗」という結果が得られることが「成果」
自分が尊敬する上司や、経営者の方、バックグラウンドも全く違うそれらの人が共通して口にするのは「失敗という結果が得られることが、成果そのもの」ということ。
一定のリスクを伴うものであれば、失敗しないように1ミリでも確度を上げるために戦略を練るのは重要なんですが、100%狙った結果が得られることは「ない」と考えた方がよく、「成功」でも「失敗」でも、「結果が出る」ところまでやってみるのが「成果」であると。
「結果を出す」というと、「プラスの結果」による成功をどうしても考えてしまいますが、物事をもっと中長期的に見た時に、当座の成功そのものには大きな意味はなく、それ以上に成し遂げていきたい大局的な目標達成(ビジョンとかそういった類のものなど)の過程と考えると、「失敗」という結果が得られることも大きな「成果」だからこそ「結果を出す」、すなわち「検証」することが重要。
そういった大局観の元に、チャレンジを促すというのが、ものすごく上流のマネジメントなんだなあと最近気づいたわけです。
博打はよくないが、自分の中で「信じられる」ものは、とりあえずトライしてみる。
例え、それが自分の見えている景色の中で「変なこと」だと思っていても、行動と発信によって、それが「普通」だと思っている人が見つけてくれるはず。その子で得られた答えこそが意味のある「結果」なんですよね。