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沈黙を選択する

カフェで友人とお茶をしているとき。
尊敬する人と対話の機会を得たとき。
涙を浮かべる人に言葉を掛けようとするとき。

誰かと1対1でいるとき、多くの人は言葉のキャッチボールを続けようとして
あるいは気の利いたことを言おうとして
次に自分はどんな言葉を返そうか
それを意識しながら相手の言葉を聞き、表情を受け取るような気がする。

自分のターンでキャッチボールを終わらせないように
相手を退屈させないために
会話を通して自分に好感をもってもらえるように。幻滅を最小限に抑えるために。


昨日、日付が変わる頃に髪を乾かしながら思い浮かべた友人の話をしたい。

彼女は、もの書きで言葉選びにこだわりを持つ人のように見える。

彼女の持つ素敵な要素は幾つもあって、私自身未だ言語化できていない部分が多いが、知り合って1年半の中で感じるのは
「ひとつの物事を見つめること」に長けているようだ、ということ。


最近気付いたことだが
私は、彼女との会話の中にある「沈黙の時間」が好きだ。

それまでの会話のテンポが如何なるものだったとしても、その沈黙は突然始まるもので
予測不可能であるからして面白い。


きっと今、彼女は語彙の収納棚の中から
自分が抱いている感情・考えを的確に私に届けるために
言葉のファッションショーをしてるんだろうな、と伝えてくる沈黙を愛おしく思う。
それだけ言葉選びに思考を巡らせる彼女が発する言葉だから、
人を疑うことをすんなり忘れて、安心して信じることができる。

「沈黙を選ぶ」という人間の強さを彼女は自覚しているのだろうか。

多くの人は沈黙を恐れ、他人の言葉を借りて
自分の考えを言語化したつもりになる。

あくまで、私の考えに過ぎないが
並の人間が得ようと思っても得られない強みを
彼女は身に着けている。

感じたことを言語化しようとするとき、自分の中にある的確な言葉が見つからない限り沈黙を選択すること

それができることに誇りを持ってほしい。

この文章が彼女に届いたとき、あるいは会話における沈黙を作ることに劣弱意識を持つ人がこの文章を目にしたとき
  選択しているのではなく、そうならざるを得ないだけだ
と思うかもしれないが
自分が納得するまで考え抜く、という強みは確かなものであると誇りに思ってほしい。

最近政治家の失言に関して、発言を取り消す、といった失言を重ねている場面を見聞きするが
一度発した言葉を取り消せるわけがない。
誰かの心に傷を作っておきながら凶器をそう簡単に削除して良いわけがない。

自分の言葉に責任をもって、発言する前に何度も校閲を通す貴方を私は誇りに思う。


ここまで私の友人の素敵なところを語ってきたが
己を好き嫌いの天秤にかけられることに恐れを感じる彼女に伝えたい。

誤解しないでほしいのは
あなたの強みや弱みを理由にあなたに好感を抱いて一緒にいるのではなく
いつの間にか大切な存在になっていたあなたの中に感じたひとつの要素を
言語化したに過ぎない
ということだ。

しかし、それは言語化に値するほど私にとって大切な事柄であり、
それに気付かせてくれたことにも感謝を申し上げたい。

これからも
貴方が安心して沈黙を選べる世界の一員でありたいと思う。


ーCornaceae

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