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旅行 ってなんなのかな

「コロナで海外旅行に行けないから早く行きたい」っていう連絡が知人から来たんですが、そもそも「旅行=みんな好き」って思ってるところがまず謎だなって思ったので以前からずっと疑問だった私の旅行感を綴ってみます。

①旅行とは→いつも自分のいる場所(家)から離れて、違う場所に行く。いつもと違う空間(部屋)で過ごして、いつも寝ている寝具(ベッドとかふとんとかまくら)とちがうものを利用して時間を過ごすこと。それに付随して食事、入浴が発生する ってことだと思っています。

②旅行の目的→建物を見に行く、風景を見に行く、食べ物を食べに行く など、日常生活とは違った経験をすることであって、移動には時間もかかるので、24時間内に帰ってこられなければいつもと違う空間で過ごす権利をお金を出すなどして購入してそこに滞在する ってことになる。

③旅行することは金がかかるってこと→目的地に行くには、遠かろうが近かろうが交通手段にお金を払って、自分が移動するってことだから、お金がかかる。それが遠ければ遠いほど金がかかるわけだから、その部分を「羨ましい」って思ってほしいのか自慢するってひとが多いですよね。海外旅行=羨ましい の構図が出来上がるのってこれなのかしら。

例えばもし目的が「ウィーン美術史美術館にブリューゲルを見に行く」だったとしたら、成田か羽田からウィーン国際空港に飛行機で飛んで、そこから宿泊ホテルに荷物を置くか、もしくは大きな荷物をもったままウィーン美術史美術館に行く。そんなに遅くまでやってるわけないから、それに合わせて作品を見るっていう旅程を考える。ってことをするだけでもおそらくまる2日最低10万円はかかるよね。ってことですかね。

私は30年前くらい、海外旅行が今ほどポピュラーじゃなかったころから、そこそこいろんなところに行ったんですが、上記のような旅行は結構な労力を使うよ ということです。30年前はインターネットがなかったので、ウィーン美術史美術館に一体どんな作品があって、美術館愛好家の中でどんな位置付けの美術館かなんて知る由もなく、行った。(同行者に促された)だけです。でも人生の糧になる経験だった と自分では思っています。

ただ旅行って、一人で行くのか、だれかと行くのかでまたフローが違ってくると思うんですよ。誰かと一緒に行くってことは、相手の行きたいところ、食べたいものを尊重しなければいけない場面があるので、そこは自分のお金を払ってまでして合わせてもいい と思う人といくか、そんなこと考えず、だれかと一緒にどこかにいる自分でいい と納得することが必要ですよね。

私は自分勝手な人なので、「自分の行きたいところに行く」に自分のお金を使いたいって思うので、一人で旅行に行くべき人なのですが、人生が進んで家族ができてきたりすると、旅行って家族で行くもの っていう縛りが出てきて、小学生の子供二人いるお母さんが「ルイジアナ近代美術館の建築美を見に行く」ってかなり難しいことです。(おそらく99%無理)

旅行ってなんなんだろうか。。


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