兄貴肌
やっとの思い 選び抜く 年賀状傑作選 (8)
いや、すごいな。NANちゃん、先生の病床からの原稿保管していたなんて。
確かに、文文先生は面倒見がいい先生だったと思う。
このnoteにすべての記憶を記すべく、いろいろ思い出しているのですが、確か書生の時代に、我々が一度京都大阪方面に旅行に行ったことがあるのですが、その際に文文先生は当時借りていた神戸の部屋に泊まらせてくださったことを思い出しました。確かその時は土日で文文先生は東京にいたので、すれ違いでして、文文先生と神戸で一緒に過ごしたわけではないのですが。。
文文先生の周りには、確かにいつも誰かがいたなと思います。
私、学士3つ持っていますが、面倒見のいい先生に巡り合うことはありませんでした。NANちゃんの物語をここで読んでいると、軽い嫉妬を覚えます((笑)うそうそ)うらやましいな~と思います。
文文日記は、出版されると私のみならず、実家の父にも送ってくださっていました。私も1回か2回登場しています。
その道の大家として有名になってしまうと、学術専門外の活動を表に出すのは勇気がいると思う。
ましてや時代的にまだインターネットがそんなに普及している時代でもなく、新しいものにチェレンジするって、年を取れば取るほど簡単にはできないものです。今ならXでサブ垢作って、こそこそ発信できますが、書物となったらそれは実名で世界配信してしまうことになるし、悪口いう人もたくさんいたと思う。こんな本出したの?あの人が?みたいな。。
私生活を含め発信することにより、異分野の人が興味をもって知るきっかけにとブログを始めたのかな。。文文先生、勇者だなと思います。
筆まめになろう!これ、ほんとにいいことだと思う。
自分の思っていることを他者に伝えることができる能力、その際にどの言葉を選ぶかのセンスは一日にして成らず。日々、文章を綴る、いかに短い語数で、誰にでもわかるような言葉選びをして、万人に読んでもらえるような文面にするのか。
文文先生に習い、手帳に思ったこと、感じたことを書いてはいますが、後で読み返すと?!?!何の意味だこれはということが間々あり、修行の道はまだまだ長そうです。