見出し画像

お手上げ!町名変更の歴史

道掃きは ご近所づきあいの 要です (5)

打ち上げ花火じゃあるまいし、下から見ようが上から見ようが、どちらから見ても違う視点のいいものが見られるんですけどね、世の中の事象って。

私の大学時代の恩師 川崎信定先生の印度哲学科でのチベット文献講読の講義で、先生がチベットに留学されていたころ、チベット人と待ち合わせしても一向に会うことができず、なぜなんだと詰めたところ、先生は「鳥観図」で場所を考えてたが、チベット人は「龍観図」で場所を考えていたため会うことができなかった という話を講義中に話されていて、
「り、龍?!?!」と眠気が吹っ飛んだことがあります。。
上記Google mapから拝借した現在の地図ですが、もちろん現在の我々の地図とは鳥観図のことです。

記念館のあたりは、ほんとに区界でして、豊島区と文京区の境目です。
春日通り=254号線で分けられているわけでもなく、その一本入った開運坂とかある通りで分けられているわけでもなく、住宅地に区界線が走っています><ってどういう分け方なのよ。住民税や固定資産税はどっちにどう納付なのかしら。。
大塚病院は豊島区だけど、大塚公園は文京区みたいな感じです。。

丸の内線新大塚駅の交差点付近は「大塚辻町」と呼ばれていたそうですが、その前は小石川大塚辻町、さらに前は巣鴨辻町と呼ばれていたそうでして、辻町とは、道路が十文字に交差しているところを指すそうです。
確かに大塚辻町は東京路面電車(チンチン電車)の駅名でした。
東京路面電車が全面廃止されたのが昭和47年。現在、都営荒川線(桜トラム)の路線だけなぜか残っていますが、かつては大塚駅から錦糸町駅まで16号線のチンチン電車が走っていたようです(この路線、現在は都営バス路線で残っています)
大塚駅前→大塚車庫前→大塚辻町→大塚仲町→大塚窪町→清水谷町→文京区役所前 と続いていきます。

1868年に江戸が東京に改称されたのち、相当な行政区担当変更が行われ、それに伴いちまちま町名変更が行われていますね。Wikipediaで軽く追っても相当な情報量です。。ChatGPTにまとめてもらってもかなりの枚数になりそうですので、割愛しますが、その時々の町名を考えた人たちのセンスで、町の名前が変わってしまっている!いやー変えないで欲しかったわ。。その土地の意味、歴史が台無しよ~!

大塚の坂下通りの周りは、現在も小さな住宅が密集しているのが、google mapからも読み取れます。
>こっそり家の呼び鈴を鳴らして逃げて行ったりする
文文先生のお宅にピンポンダッシュする子がいた というのは、納得。ピンポンダッシュしたくなる塀の高さからのやっかみと羨望。なんかわかるw

ヒトがこんなに住んでいるということは、ヒトが集う商店がたくさんあったはずで、mapを目を皿のようにして見てみたのですが、なんかあまりないんですよね。。お店。なんで?!昔はもっとあったんでしょうか。
NANちゃんが訪れたであろう君の湯は健在の模様。今週末にいざ参上してまいります。



いいなと思ったら応援しよう!