自分の弱さを知る(1)

エリク・エリクソン(心理学者)の「心理社会的発達理論」というものがある。博士は、自我発達を8つの段階に区分したのである。大人の階段の~ぼる~、っと歌いたくなるような定義であるが、この区分けと自分の人生を照らし合わせてみると、はたして自分は大人といえるのか?等々、いろいろ考えてしまうのだけど。

エリクソンはアイデンティティ危機(identity crisis)またはアイデンティティ拡散(Identity diffusion)という言葉を作り出したとされている[6]:29。これまでの発達段階でもそれぞれの危機があったが、この用語は、幼児期から成人期への移行を指している「これまでも幼児期から少年期までの間に、多くのアイデンティティが形成されてきたが、青少年のアイデンティティーにおけるニーズはそれらでは満たされない」ために、この段階が必要となっている[7]。ヒトの発達におけるこのターニングポイントは、「どういったヒトとして育ったか」と「社会から望まれているヒト」との和解であるとされる。この新しい自己意識は、過去の経験をもとに、未来を見据えて鋳造しなおすことによって産まれる。8つの発達段階全体おいて、第5段階は交差ポイントとなっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BBH%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3

引用通りだが、第五段階(思春期)は”交差ポイント”である。この段階にさしかかった頃にすべからく私達は人格を鋳造し直さないといけないのだそうだ。適切な時期にこの”イニシエーション”を済ませているのか、否か?。この理論の肝の部分であろう。

私達は”素”のままの人格では社会では通用しない。そういわんとするところは自分自身の経験に照らし合わせても直感的に理解できる。が、だからといって成人期に迫る前にやらねばならぬ、と言われると少し躊躇う。

これではヒトは20歳を過ぎてしまうと人格を”鋳造しなおす”のは難しいってことになるのだ。ずいぶんスパルタなことを、さらりと言ってのけていらっしゃる。

だいいち、人格を鋳造しなおすことは、一人の大人として社会で生きていくなかで何度か必要に迫られることであり、未経験の課題に直面しては、その不可欠さと同時に、困難さをとことん思い知ることになるはずの事柄ではないか。なにも思春期の青年の特権ではない。

例えば結婚や就職、転職など人生において節目を迎える時。一番わかりやすいのはやはり転職(特に異業種への転身)であろうか。

転職したらしただけ人間関係まで一新する必要が出てくる。まずもって組織文化になじまなければならない。そればかりではない。人間だもの、なじめなくて苛められたり不当に組織を追い出されることだって、あって当然である。

私たちは傷つきながら知恵をみにつけて、一歩一歩大人になっていくしかないのだ。だから尚更、上記「発達理論~」の言わんとしていることがわかるようでイマイチわからない。思春期におこなわれるべき人格の鋳造とは一体何ぞや?

<続く(かも)>

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