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3.11をふりかえる|ネット言論と「自由」について
2011年3月の東日本大震災から10年がたった。あのとき世の中で何が起こったか、当時の印象を思いかえしてみる。
震災後、福島原発がメルトダウンし、周辺に放射能がまき散らされた。東電の職員たちが、ほとんど人柱のようになって、決死の作業をしていた。
彼らの姿は、自分のちっぽけな姿を写す鏡の様だった。私たちは、テレビのモニターを前に指をくわえて見ている他には何も出来なかったのである。
もしかすると、本当の試練はこの件が暫定的におさまった後にあるのかもしれない、、、そのことを真正面から考えると、途方もない気持ちになり、つらかった。
時を同じくして、ネットでは「非専門家」達による根拠のない悲観論と楽観論、暇人やキチガイの夜郎自大な戯言、等々の無責任な意見が氾濫した。
ネットが一種のカーニバル状態に陥ったのだった。
一方、まともな専門家ほど口噤み、いつもは粋がっている大物言論人たちも沈黙を守っていた。ジャーナリズムは、ひたすらに「事態は深刻」とだけ喧伝していた。
あまりに事実が重く、異常だったのだ。この時に私は「いざと言う時、ネットは役に立たない」と心底、理解した。
しばらくして、次々と悲惨な事実が明るみになっていった。
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昨年のコロナ過にしても、アメリカ大統領選挙の騒動にしても、この印象は強化されるばかりだった。
裏を返すと、本来(ネット)言論で求められている、大切な事が浮き彫りとなった。
嘘偽りない形で、情報の受け手に一連の事実の「重み」を伝えること。
語られている事柄が、受け手にも自分事であると知らしめること。今後、人々がその事実にどう向き合うべきかを示すこと。
その基準と志向性が見えない(見えていない)ふにゃついた「言論」に、たいして価値はない、と言ってしまってもよいのかもしれない。
本来ならあの3.11の震災後、ネット言論は一変する可能性があった。が、実際はまったくなにも変わらなかったのである。
したがって、今さら、コロナ過にかこつけて「2020以降、ネット言論が変わる/変える」とかなんだとかいっても、空々しい。
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天災はいつも忘れた頃にやってくる。
東日本大震災もコロナ過も、そうだ。しかし今まで人類は幾度となく乗り越えてきた。
私は3.11の週明けに、普通に出勤していた。東北の数多くの人々だって同様だったろう。
当時、厚生労働省の中央合同庁舎で、システムエンジニアとして働いていたのである。東北地方の厚生省職員も、普通に8:30から出勤していた。
被災地では濁流が押し寄せて、いく万人の命が奪われていた。阿鼻叫喚、めちゃめちゃであった。それでも東北にいる彼らは、自分の意思で、当たり前に出勤していた。
私はなにか、目を見開かされる想いだった。それまでは、仕事をまるで刑罰のようだと考えがちだった。でも、それはまったくの思い違いだと気づいた。仕事の本質とは「自由」だ。
大地震で街がめちゃめちゃになっても、原発がメルトダウンしても、人の自由意思により「義務」は遂行され、世の中はまわっていく。
これこそ「自由」の尊さにほかならないと思った。そして、ネット空間には、この「自由」の尊さがまるでない。
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もうひとつ、震災の光景を目にして気付いたこと。
倒壊して散乱した木材が烈しく燃えていた。波によって押し寄せた瓦礫が人々を圧殺していた。
しまいには原子力発電所がメルトダウンまでして...それらの悲劇の悉くが、人の手によってつくられたものであった。
本当の脅威は天災ではなく、やはり人間と、人間が生み出した「技術」なのだ。
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昨今、ネットを媒介した影響工作に、かなりの数の人々が感染してしまうという問題がクローズアップされている。
人間の正常な思索能力がネットに奪われる、、、!?
恐ろしい。じつは2001年の同時多発テロの時から、その萌芽はあったと記憶するが、
1、権力、権威へのルサンチマン
2、陰謀論への脆弱性
3、一発逆転への期待(社会の二極構造をひっくり返したい)
この3つが、ネットを媒介して化学反応を起こし、爆発的に強まるように見える。
トランプ騒動のときは全米が分断し、混乱した。凄まじいエネルギーだった。
かねてよりツイッターで観察していた「言論人たち」が、この騒動を機にいつの間にか「絶交」状態になっていたりして、しかもそれがあちこちで起こっているのを目の当たりにした。
こんなふうにさまざまな形で「分断」を引き起こし、SNSを通じて可視化させた点で、たしかに画期的だったともいえる。
トランプ膝下の影響工作の威力を、まざまざと見せつけられたのも、収穫だった。
もともと「なんか変な人だな」と思ってた人に限って、やはり電波をモロに受けて、イカレてしまった。facebookの友達の何人かは、(それまでトランプのトの字も言ってなかったのに)陰謀論とトランプへの称賛ばかりを投稿するようになり、目に余るのでブロックした。
このネットを媒介した感情の高ぶりと爆発に、「自由」の尊さは微塵もない。