彦坂尚嘉論(7)

…最初は名もない原っぱだった。

地図にも、記録にものこっていない場所で。わたしたちは(”たち”といっているのは、そのころは、みんなビンボーで、一緒に身を寄せて暮らしていたからだ)ただ生きるためだけに生きていた。

内心では軽蔑していても、わたしたちはただ生き残るために、エライ人のいうがまま、ふたつ返事に受け入れていた。それが、わたしたちがつつがなくくらすための唯一の方途とおもわれた。

やがて、わたしたちによく似た者が一つに集められていき、そのゲマインシャフトの意思は村から村へ、町から町へ広がっていった。逆らう者など一人もいなかった。

時がうつりかわり、わたしは歳をとり、いつのまにか別の人間として、この国で暮らしていた。もう、あの故郷はどこにもない。本当のわたし”たち”を知る者もいない。

わたしたちは「外」を直視しなければならない。いくらじぶんの内面を見つめても、そこには空虚しかないのだから。

わたしたちは”圧”に耐え続けないといけない。耐え続けた時間があまりにも長すぎて、黒くかたまった危険なかたまりになっている。いつ燃えあがるかもわからない。それがなにをきっかけにするのかも。

「外」にいる人たちは、そのおそれから、わたしたちが彼らと対等であるという不遜な観念を抱かぬように、たえず劣等感を受け付ける非道いやり方で、いいようにあつかってきた。

そうあって不思議ではないものと、みずから進んで思い込むように。敗北を。

わたしたちは選ばされてきた。かのような変質的な悪辣さにおいて、かの人たちは天才である。

彼らのやること考えることは、おちょぼ口の、手先のきれいな、わたしたちのような者にはおよびもつかない。それは嚇かしではなく実際に起こりえて、目の前で起こってきた。

<続>

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