彦坂尚嘉論(8)
とんでもないフロウに戦慄。美術が滅んでいく。猿でも写真を撮り、絵を描き、コドモでも現代アーティストを名乗る。そしてキチガイでも美術評論を書く、と。彦坂の怒りがスパークする。
ここで補足しておきたいが、彦坂には、藝大を筆頭とする美術業界人にありがちな、神経質なプライドの高さや、尊大にふるまって他人を貶めるというような歪んだ願望は少ないのである。
その芸術判断の手続きが(後者のそれと同等かそれ以上に)独裁的であることにおいて、悪名高いだけである。
40歳までに彦坂は成功した美術家の仲間入りを果たし、美術家が自分の業績から得ることのできる、あらゆるものを手に入れていた。また、文化庁新進芸術家在外研修員としてアメリカ・フィラデルフィアに留学。彼のアメリカやヨーロッパについてのコメントに鋭さを感じたことはないが、留学時代に多くのことを学びとっていて、とくに日本の国情を批判するのに利用している。みずからが主張していること・表現を試みていることが、きわめて日本的であるということを、彼ほど巧みに批評的に、意識的にやっている美術家はいない。
40なかばを過ぎたあたり(=90年代)に鬱病になったとも告白している。おそらくは人生ではじめて、その頃に自分の仕事について深刻に悩みはじめた。一般的にアーティストが病むのは、自分の才能に疑問を感じたり、枯渇するときであるが、彼の場合はそれだけではないだろう。富井玲子氏のレクチャーからもわかる通り「理想と現実との溝の間を、美術は何で埋めればよいのか?」ということに大いに悩んでいたのである。
ただ、ここでどうしてもひっかかるのが、彦坂のいう理想とはいったい、いつの時代なのかということだ。美術界の戦闘狂クソガキだった若かりし頃をいっているのか。あるいは、銀座画廊の主と呼ばれ、山口長男の絵画とかの鑑定をしていた頃をいっているのか。ようするに自分が権力者だった頃のことをいっているのか、それよりはるか以前なのか。
<続>
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