「頭がいい」とはどういうことか ――脳科学から考える|読書メモ(5)
身体性の話に続き、「第6章 感受性と創造性」と続きます。冒頭で「知恵ブクロ記憶」について言及されます。
じつは第4章(記憶という不思議な仕組み)でも登場していた概念だったのですが、初出では脳機能を分解的に解説するためのパーツの一つとして紹介されていました。
以降、「うまく言えないけど、この世界を生きていくためのコツみたいなもの」とか、「スマートスピーカーや図書館の司書のような役割」とか、「社会的ルールが、経験となって知恵ブクロ記憶となって、世界のモデルを作っていきます」とか、
さまざまな表現を用いてくりかえし説明されるのですが、ようするに、この記憶のメカニズムがあるからこそ、わたしたちは成長・発達ができるということです。本書を読み解く上で、もっとも重要なキーワードと思います。
くわえて知恵ブクロ記憶を更新するうえで欠かせない要素が、人それぞれが持つ感受性の傾向です。これについては、いったん「第2章 注意しなければ知覚できない」に戻ってみますが、
才能とは「(ほかのヒトが)何気なく取捨選択してしまっているものに注意が向き、知覚できる」能力のことと言い換えることができそうですね。本章では、この個人の感受性の傾向を「感覚フィルター」と呼んでいます。
実体験として、よくわかる記述ですね。わたし自身、ある面では、鋭敏に過ぎ、とても傷つきやすい人間だと思うし、一方では、木石のごとく鈍感な人間でもあります。つまり、”HPS”と鈍感さの両方の要素を兼ね備えている。この自覚と人より長じている・人より劣っているとの自覚の部分は、かなり重なっているのです。誰だって大なり小なりそうでしょうが。
この能力(傷つきやすさ?と表裏一体の)をどのように研ぎ澄まればいいのだろうか?
毛内先生はアートを挙げています。アートに触れることで知恵ブクロ記憶を更新することができる。
いうまでもなく、アートは非言語の領域です。アートをクリエイトするという行為は、ある時、なんとなく感覚の中ではこんな感じ、みたいなのが現れてしまう。そういう時に初めて自分の経験を把握できる。言葉にもしないし、おもい返しもしないで経験したっていうことは普通はなかなかできるものではない。
とくに、このあんまり言葉だとかなんとかにならないけれど(奇)妙な感じとして残っているという、それが重要で、それをつきとめようとするのですよね。まあ、これはクリエイトする側の視点ですけれども、それを鑑賞する側だって、そこからさまざまなヒントを得ることができるはずです。
また本章ではそれを『アートは「脳の持久力」も育む』とも表現しています。それは「答えがないかもしれない問題に、釈然としない気持ちを抱えたまま寄りそっていく方法」である、と。
<続>
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