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#14 「今日は何を食べようか?」参考にならない献立のつくり方

「今日は何を食べようかな?」と少なからず迷うことがあると思います。
献立に関しては、「何でいつも私ばっかり」とイラッとくる時もあると思います。
何が食べたいのか聞いてみると「何でもいいよ〜」と返ってきます。
「じゃあキットカットだけでもいいのか!」と言いたくなる事もあります。時々「何でもいいよ〜」と言ってしまう私自身謝罪を込めて、あまり参考にならない献立の作り方について書いてみようと思います。

「食について」の新コーナーを作った記念すべき1回目です。

私は、過去に日替弁当を販売していた経験があります。
肉と魚の2種類を月曜から金曜まで、毎回違うメニューに8年ほど挑戦したことがあります。
次はどんなメニューにしようか?
どんな味付けにしたらいいか?
食材は何にするか?
頭の中は365日、献立のことでいっぱいでした。
献立のことなら1ヶ月分ぐらいでしたら、今でも直ぐに出来ますが、こんな私でも時々迷いが起こります。

「今日は、何を食べようか?」
おっと来たかと言う感じです。

心境としては、「あれ!何食べたいんだっけ?」が正しいです。
何を口にしたいのか、水以外浮かばなくなります。

理由としては、これを食べても味が想像できるからなのか
ただ単に病んでいるのかわからないですが
あの日替わりの時は、ちょっと怪しいです。
昔、自分で病んでると自覚しているならまだ大丈夫と言われた事があります。
もっとやばいのは、自覚していない時らしいです。
あの時はスレスレだったのでしょうね。

迷った時には、食べ方から考える。

結論から言うと、迷ったらジャンルや品名から選ぶのではなく、シーンやシチュエーションから考えるのがいいです。

例えば映画館では、何故かポップコーンが食べたくなるし、韓国ドラマを見る時には、韓国焼酎チャミスルとキムチを用意したくなります。
スポーツ観戦の時には、ビールとつまみが欲しくなるように、
シーンから考えると、だったらこれも一品欲しいかなと少しずつ
アイデアが浮かんできます。

放棄もあり

特におすすめなのが放棄することです。
一人で自由に好きなものを食べて下さいもありです。
「〜しなければ」ほど良くないことはありませんからね。
色々な事があるからこそ、みんなで食卓を囲み、会話しながら食べる楽しさって
やっぱりいいなと実感できたりするからです。

料理を見る

料理に関しては、昔から料理をする人を見るのも好きでした。
材料を切る時の包丁の音、肉を焼く時のジュワーっとする音、見ているだけで、
「どんな味なんだろう」「この材料はどうやって出来たのだろう」と想像しながら食べる時の瞬間をワクワクしていました。
だからこそ自然と「いただきま〜す」になるのだと思います。

料理の有難さ

料理の有難さについては、やはり一人暮らしをしてからすごく感じました。
久々に実家に帰ると勝手に自分の好きだった料理が出てきたりして、
本当に有難いです。
高級な食材を使っている訳ではないのに、「もてなそう」とする気持ちが
本当に有難いです。それは味噌おにぎりでも感じました。
味噌とご飯という素朴な食材だけなのに、とても不思議です。

時々、美味しさより価格や早さで選んでしまう事があります。
どんな気持ちで作られたのか、忘れてしまう時があります。
何も考えずに食べる事が、当たり前になってしまうと、
つい大切なことを忘れてしまいます。

目の前にあるもの

食事は不思議です。何で人は食べるように出来ているのでしょう?
「人は食べたもので出来ている」というパワーワードでロゴTシャツを作ってみたくなります。
食べることはきっかけであって、本当は何気ない日常の幸せを感じることなのかなと思います。家族と一緒にご飯を食べて、休日をともに過ごす。

キットカットでも幸せを感じると思います。
健康で、笑い合い、誠実であることが幸せに感じる。

いつだって幸せを作るのは、「目の前にあるもの」なんです。







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