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#30 ポジティブでも隣の芝が青く見える?

ポジティブとは一体何なのでしょう?
自己啓発本などでもポジティブ思考を推奨しているとは言え、そんなにみんなポジティブになりたいのか?
もしも前向きな性格だったら、こんなに悩まないのにと思う気持ちもあるだろう。しかし、ちょっと待ってほしい。
ポジティブ思考な人でも「隣の芝は青く見える」時があるそうだ。

ポジティブ思考は、無いよりはあった方が良い。でも、それは、時と場合による。
ネガティブ思考も、無いよりはあった方が良い。でも、それも時と場合による。
危険なのは、ポジティブでは無いのに、ポジティブに偽ること、つまり出来そうもない夢を想像して苦しむことである。本来の自分と現状とのギャップに耐えられなくなる時が、いちばん危険なのだ。

ポジティブな人は、自分がポジティブだとは思っていない。それが普通だから、そのことがそんなに良いことだとか、凄いことだとは思っていない。

むしろ、小さなミスが多いとか、相手の気持ちを汲んであげられたら、など無計画や、慎重さに欠ける不安要素が気になったりもする。
食べかけのドーナツが、テーブルの上に置いてあるのが気になるように、欠けているところが気になるのである。

ネガティブな人も、実は自分がネガティブだとは思っていない。
それが普通だから、そのことがそんなに悪いことだとか、凄いことだとは思っていない。
むしろ、小さなミスが少ないとか、相手の気持ちを汲んであげられる、計画的で、つねに慎重で仕事もスムーズに運ぶことが多い。
食べかけのドーナツがそのままテーブルに置いてあると、ラップをかけて冷蔵庫に入れておこうと考える。

コップに水が半分しか

「コップに水が半分しか入っていないと考えるのがネガティブで、半分も入っていると考えるのがポジティブ」って聞いたことがあるが、重要なのは、その次にどんな行動を取るかである。

「コップにまだ半分も水が入っているけど、パパ、今のうちに買っておこう〜」
「ママ、そうだね。気づかなかったよ」で良いのだ。
ポジティブとネガティブの垣根を作らず
お互いの得意とするところを補い合えば良いのである。

ネガティブだから、ポジティブだからは、落ち込む理由と関係ないことである。

自信を喪失をすると確かに落ち込むことがある。
自信を持てなくなる時の大きな要因は、他人と比較している時である。これに尽きる。

隣の芝は青く見える?

では、なぜ他人と比較したり、隣の芝は青く見えたりするのか?それは、隣だからだ。
手を伸ばせば届きそうな自分の交流関係だからだ。

憧れよりもうらやましいと感じるのだ。
うらやましいの中には嫉妬が入っている。

嫉妬とは、自分と同等もしくは格下に見ている時に起こる現象である。

では、どうすればい良いのでしょう?

セレブや格上との交流関係をつくることが良い。
決して嫉妬は起きない。その代わり憧れやモチベーションが湧いてくる。

結局、ポジティブもネガティブも関係ないのである。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。
godaigenso

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