千差万別ゆえに、人は・・・
固定観念があるのはわかるけど、いつまでも押し通されても困る。
人は千差万別なのだから、常識が通用しないこともあるのだ。
ゴリ押しで、押し込んでも、それを認める人がどれだけいるのか?
やわらかく、包み込むように諭したほうがよい。
えばって、大声で命令したって、誰も聞かないよ。
かえって印象を悪くするだけだから、やめてください。
(父に対して、言っているわけではない)
ボクはゲームを始めたのは、ゲームセンターには暴走族がいるとテレビで放送されていた頃だったから、いまどきのお父さんたちが決してゲームセンターに行かなかったころには、すでに行っていた。
ゆえに「黎明期から行っていた」と友が言っていたようだ。
他の分野についても、それが取り上げられる前に始めたりすることが多く、それこそみんなが知らない知識も得てきているのだ。
順に追うと「アニメ」「特撮」「ゲーム」「麻雀」「パチスロ」になる。
「アニメ」では、描く力を学び、耳が鍛えられもした。
「特撮」では、戦隊シリーズに特化した。
「麻雀」では、心理戦でのかけひきをおぼえたし、
「パチスロ」では、攻略法を作りかけている。
これに高校のときのことも覚えているから、年齢的にどの時代の人とも、ある程度の話ができるということになっている。父が戦争に行ったから、シベリアでの抑留生活も聞かされて、それも話の種の一つだし。
遊びから何かを学べたことは、ボク特有の能力が発揮されてのことかもしれないが、ゲームをプレイしていても、知らぬうちに能力が開発されていくこともあるということらしい。
情報化社会という言葉に従うように、いろいろな情報も得てきて、それがラジオ投稿時に役立ったことは、すでに書いてきたけど、これらのことについてもこれから覚えたことを使っていけば、無双状態になるのかもしれない。
人と同じことをしてきたのなら、ここまで成長できなかっただろう。
人がやらないことをやったし、知る必要もないことまでも覚えてきたからこそ、ここまで差がついたと思う。
「嫌われていたから」「友達が少なかった」からこその変化であったのだ。
簡単に真似されるほどのことしかしなかったわけではないのだ。
自分のなかでは妥協せず、人に負けないようにと頑張ったからこそ得られたのだ。
それを見た子供が「同じような力を得たい」と考えるなら、いままでとは一変した暮らしをすればいいのだ。
親に守られず・友達にも守られず・自分のことは自分でやる。
金も少ししか使えず・睡眠時間も短く・食事も最低限にできたら、ボクを尋ねてくればよい。そのときになら伝授しよう。でも、それまでには自分で考えられるようにはなっているはずだから、それなら来る必要もないが。
もしできたとしても、ボクのように障害はないだろうから、我慢という点では、まだまだといえるのかもしれない。
ボクたち障害者は、差別の中で生きざるを得ない人もいるのだ。
とても、人には理解されぬ「心のつらさ」も抱えて生きてゆかねばならぬのだ。そのことさえ、「理解できるよ」と勘違いから言う人もいるけど、立ち入ってもらいたくないのだ、本当はね。
「規制線が張れればいいのにな」と思うこともあるけど、そうはいかない。
母を褒める人も多いけど、ボクは認めていない。
ようやく理解したと思った直後に、認知症を発祥してしまった。
「私は茶道にばかり夢中になり、あなたのことを考えていなかった」
こう書かれた紙が、ボクの部屋に置かれていた。(まだ、持っています)
その直後の夜、階下へと降りてゆくと母が「タオルひとつだけ身体にかけた状態」で、横たわっていたのだ。揺り起こしても起きず、父を呼んでもどうにもならず、そこから認知症になってしまったのだ。
言葉は何もでなかった。出せなかったのだ、あまりの展開の早さに。
徐々に進んでいく母の病気。どうしても・何をしても進行を、穏やかやかにさえできない。呆然と受け止めることしかできなかった。無力だった。
母が、家にいなくなったら、父はボクを母のように使い始めたのだ。
そして母が亡くなり、父と暮らすようになっても、父はワガママし放題だったし、それに付き合ったりしていても、ボクの評判はあいあわらずで、そんなこんなのうちに、引越し指令が出て父が倒れて生活保護で金銭管へ・・・と続きました。
それこそ「千差万別」の見本であるかのような数奇な運命をたどってきたボクは、これからどうなっていくのか?
それは「次回をお楽しみに」とでも言っておこう。視聴率アップのために。
ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。