出会いがもたらしたもの。
浜松に暮らしていて、東京にいたのも3ヶ月あまり
職歴もわずかのものでしかないボクがなぜこんなことが書けるのかは、
読んでいくうちに理解されると思われる、我慢して読んでいただきたい。
高校時代になって、いじめから解放されたボクに対して、次に起きたことはリーダーとしての資格を試されることであったのだろう。
高校で知り合った友達に「バスケ部に入ろうかと思う」と打ち明けた。
すると「中学と高校ではレベルが違う」と一喝された。
彼は3人兄妹の次男で末っ子であり、ボクは一人っ子であった。
後に人生を狂わせる?ことになるゲームセンターに通うようになるのも彼が学校から程近い駄菓子屋へと連れて行ってくれて、そこで1回50円のゲームを一緒にプレイしたところからである。
ボクはゲームをやり続け、それによってプログラム的な弱点も見つけたし、パチスロに勝てるきっかけも彼が間接的にくれたと思うから、駄菓子屋へのお誘いはボクにとっての人生を変えるためのものであったと思う。
その彼と放課後に校舎をぶらぶらしていたら、3年生の物理部員からお誘いがあった。「物理部は自由だから、入らないか」と・・・。
少し迷ったけど、即入部した。
そのときの人は、ボクが公務員を受験するきっかけを作ってくれた人のうちの一人であり、ハローワークに就職して、僕にいろいろと教えてくれた人生においての先輩でもあるのだ。
学業では目立たない存在に分類されていただろうけど、部活でのボクはリーダー的な行動力を発揮していた。
「部活対抗でソフトボールをやろう」と言い出したのもボクだし
土曜日になると「ボウリングに行こう」と誘ったのもボクなのだ。
あとで物理部に入部した野球部崩れのやつは、「ソフトボールの打順」や「麻雀」のときにもライバル視していろいろ言ってきた。
クラスには他にも目の敵にしてくるやつもいたが、相手にもしなかった。
ボクが勝っていると思い込んでいたからである。
球技大会でボクが「一か八か」の遠距離からのシュートを打ったときにも
そいつは「馬鹿・まだ早い」と言った。打った瞬間にだ。そこにも、やつの自己中心の「みんなのため」と考える部分がにじみ出ている。
・・・が、それでは試合には勝てないのだろう。力の差がある試合では。
ボクがシュートを、あの試合序盤で、遠距離から打ったのに対して、そんな意見しか言えないのであれば「おまえはボク以下だ」とボクに思われても仕方はないだろう。一か八かの賭けだったのに。マークを序盤でつけられるかの賭けだったのに。
公務員時代は短いもので何も得ることはなかったのである。
学んだことは、方言を使うのを恥じるやつの多さだ。
自分の地元を恥じるのも漫才ブームの悪影響と思った。
その後に人のいるところへ、仕事以外で言ったのは、「ふらっと」というところであるが、とんでもない出会いがあった。
「東京大学法学部へ3年まで行っていた」人や「おれたち、ひょうきん族」に出ていた人、普通で考えたら出会えない人と出会えたのは幸運である。
そして彼らは優しかった。何事でも極めた人はそうなるものであるし。それにより自分独自の理論も持っているものであるのだ。
いまは「ふらっと」も無くなったようなものだ。形態が変わってしまって、作業しながらカウンセリングをする施設ではなくなっしまったらしい。
でも「ふらっと」のおかげで、出会いに恵まれた。・・・馬鹿もいたけど。
こうした経験・出会いがボクに与えたものを考えると、決して悪い人生ではなかったと考えられる。
これから伸びていくかしぼんでしまうかはボク自身の問題だ。
期待されると、弱いタイプであることを重々承知してから、意見を述べていただきたい。それがボクのためになると信じていますよ。
これからも、良い出会いをしていきたいものだ。
noteでもあるような・・・そんな出会いを。