自分の性格。
またまた父のことから書きます。
父は片足が悪くなっていたのに、引っ越しの準備を独りでやって、それが原因で首から下を自分の意思で動かせなくなり、緊急入院しました。
その後も看護師さんが母のように手取り足取りで世話を焼いてくれなかったから「いじめられてる」とボクに泣きついたから、わざわざ天竜区にある病院へと転院手続きをしましたが、そこでも「いじめられてる」と言うので、母が息を引き取った特別養護老人ホームへと転院させました。
そこでもたぶん父は同じことを感じたのでしょうが、今度は「もっと会いに来てくれ」とボクに言いました。
「どこまで自己中心的なんだ」
独り暮らしで天竜区に暮らすボクは初めに転院させた時に「これで近くに父がいるから、面会に行くのに困らない」と思ったものでしたよ。
しかし浜松市中央区の特別養護老人ホームへと転院させたことで、会いに行くのにもお金がかかるし、2度の転院でも介護タクシーを使うことで、お金はどんどん減っていったのです。
父が独りで引っ越し準備をしなければ、元気でいられたし、お金がどんどん減ることもなかったのです。
その事を父には話さなかったし「もっと会いに来てくれ」と言われたけど、そこまで行くのにもけっこうなお金がかかることも伏せておきました。
昔から父はワンマンだったから、意見しても無駄と知り、絶対に言い負かせられても、こちらからは話を聞くだけにしてきました。
それは中学生くらいの頃からです。
生きている時代は同じでも、考え方や世間的な常識は、ボクの考えていたことが正しいと思っていました。
今のボクもそのように言っても無駄な人に対しては、意見を聞くだけで反論はしません。
公務員を殴った時も、お金を渡すと言ったから待っていたけど、それが何時まで経っても渡さないから、殴ることに繋がったのであり、約束を破った公務員が悪いと、今でも考えています。
浜松市の市役所だけなのか知りませんが、生活保護費を扱う職場の受付が「おいおまえ、奢ってやるからコーヒーでも飲むか?」などという差別発言を数回言ったことは忘れられないし、個室へ入った時にマスクを外したら、座っていた椅子を持ち上げて落とすようなこともされましたしね。
殴った時には「ふざけたことを言っていたら殴るぞ!」と紙にまで書いた物を持っていって、それを読んだのが、ボクのケースワーカーで、へらへらと笑っていたから、感情を抑えきれずに殴ったのです。
noteの中でも公務員を殴ったと書いたからか、暴力的な奴として認識されたみたいですが、溜まりに溜まった怒りをぶつけただけだと、ボクは考えています。
神経科の病院を退院してからも、平気な顔をして市役所を訪れるボクを見る、殴られたケースワーカーなどはどう考えるのでしょう。
「重要なことは決して忘れない」
昔からそうでしたからね。
それとも頑張ってお金を貯めて、浜松市から脱出した方がよいのでしょうか?
また長くなりました。
最後まで付き合ってくれて、ありがとうございました。
…終わり。