いまが最低だ、と思いたい。


昨年いじめの件数が過去最高になったと聞いた。
そのときに「最近の若者は・・・」などと考えた自分に対しては、愚かさを感ずる。

物があふれている時代に、若者が人の心を操りたいと考えたとしても、それはごく自然な流れであるのだから、仕方のないことだといえよう。
それに対してやめさせようとしても、それは無駄なことであるから、そんなことはしないでもよい。

そんな時代にしたのは「新しいものが幸せを呼ぶ」と勘違いした人たちが多くいたからであり、子供には自分たちのした苦労はさせたくないという、間違えた親心が元にあるのではないのか?(もしくは金儲けだ)

ボクたちの時代は、それでも昔の人に言わせれば、じゅうぶんに新しいものがたくさんあったらしいけど、貧乏であったボクには、手の届かぬものも多数あって、それらがなくても、ないがゆえに自分たちが手にしたもので楽しめたという、人に頼らずに面白いものを探していける人が多くいたのだ。

高校時代に駄菓子屋に連れて行ってもらって、ゲームを覚えました。
そこからゲームセンターへ行くようになり、テレビを見て操られている人たちからは「ゲームセンターに行っているみたいだ」と、よく思われなかったけど、テレビのイメージとはかけ離れた存在であったゲームセンターに行くことがボクの楽しみであったし、友達もできたし、みんなの言うことがおかしいと思い始めたのが、ゲームセンターに行ったときからでした。

その後、ファミコンが出たり、ゲームセンターに「ストリートファイターⅡ」が登場したりして、ゲームに対するイメージが変わってきました。

最近の若者は、電車・バスなどではスマホを手にしていない人のほうが少数であり、必ずといってよいほど、ゲームをプレイしているようです。
それも、みんなと一緒であり、ボクはそれにも文句を言いたいけど、眠っている・ゲームをやっている・音楽を聴いている人ばかりで、本を読む人がいないのは、寂しく思えます。

E-SPORTSが取り上げられるけど「どこがスポーツだよ」とボクは思うから、昨夜も、それの記事のさんざん文句を綴ったコメントを残しました。
スポーツでも、みんながルールを知っているから、楽しいのであり、E-SPORTSのように、知らないことがある状態で取り上げられても、それはスポーツとはいえない、これがボクの持論ですから。

ネット社会では「情報を知らぬものは損をする」とは理解できても、それが当たり前として通用する時代に生まれたくはなかったです。
貧乏人は初めからハンデがあるなんて、許せません。

勝負なら正々堂々と戦いたいし、一対一で戦いたい。

暴走族で嫌がらせ専門の暴走族がでてきたと聞いたときには、こんな時代になってしまったんだと、悲しかったです。
それ以外にも、ボクの知らないところで、人というものが許せないと思うものや事がでてきているのでしょう。

世紀末は始まっているのでしょう。
ただ、世間には公表されていないだけで、もっと深刻な問題も起きているのかもしれませんね。誰にも解決できない問題がおきているかも。

ひとえに人の考え方が、おかしくなったから起きているのだと思いますよ。
昔はものはなかった分だけ、人は心がきれいだったから。
物欲が満たされて、次に望むのはなんでしょうか?

誰でもわかることなので、自分たちに任せますよ。
それを考えて、これからの行動につなげてください。
誰もが不安な部分はありますが、人に頼りっぱなしでは解決しませんよ。
何かをやって忘れようと思っても、心の奥から離れないでしょう。

助けを待たずに自分で切り開くことです。
そうしなければ、未来はない。



いまの状態が最低だ、と思いたいものです。


自己修復機能は、必ず働いてくれます。
心に人というもののことを想っている人には。


そんな人はたくさんいるのだと思いながら終わりにします。

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おまえ
ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。