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勝ち負けと認知症予防・・・

認知症予防(発症を遅らせるの意)に
取組みながら、日々の出来事を
なんとか、認知症予防にこじつけて
展開していこうとnoteを書いております。
前回の記事からだいぶ、
期間が空いてしまいました。
リハビリだと思って、
今回はエッセイ風で行きたいと思います。

■irohamusiccom
「化ケノ皮」チリヌルヲワカ :
"bakenokawa" chirinuruwowaka

今回のエッセイを書く、
きっかけにもなった音楽です。
先日のLIVEも最高でした。
あぁ~カッコいいです♪

今回のタイトルの、
勝ち負けも、ここからアイディアを得ています♪

さてさて、本題です。
勝ち負けの発想を
池田晶子の書をもとに
整理して考えてみました。

参考にしているのは、こちらです。
『勝っても負けても』
41歳からの哲学 池田晶子

勝ち負けの発想⇒他人との比較
⇒基準は他人にある。

②人は勝つことを求める⇒
そのことで、何を求めている?
⇒自分の幸せ

ここで、問いが生まれる
自分の幸福とは、
他人との比較の結果で
得られるものなのかしら?


他人との比較とはどういうものか?
他人Aと比べて、
金がある・名声があるとかで勝ち判定

他人Bと比べると、
彼よりは劣る、負け判定・・・

という具合に、
常に誰かと比べるので
相対的であるがゆえに、
心の安まることは無い?

となると、
心安まることのない
幸福とはなんぞやってなる。
これはいったい何なんだ!!
みたいになる モヤモヤ


比較を伴わない、幸福を考えると
いよいよより一層、モヤモヤする?

他者との比較を伴わないのですから
自分の中で、自分自身で完結するもの
なんでしょうけど・・・
これもまたモヤモヤ感があります

ひとつ、なんとなく
感じていることは
何か信じるものみたいなものがあって
それに向かって動いているといことは
比較を伴わない幸福っぽいなってとこです。

私の場合、具体的なものだと
やっぱ新規事業やらないと
駄目だ・新しいことをやるべきだ
みたいなことを信じていて、
とぼとぼ、よちよち、
界隈をふらついています。
これは、希望学の実践だと
思っています。
行動しないと棒にも
希望にもあたらないわけで・・・

認知症予防は、
自分の価値観として
いつかは誰でも認知症を
自覚し・自分事として
向き合うべきだと信じて、
細くても途切れないように
継続して実践しているので、
これも幸福なんだろうなって
考えるべきだとも思いました。

もちろん、勝負事も好きですし
そこに生まれる分かりやすい
モチベーションとかとっても
いいものだとも思っています。

今、自分はどっちの
勝負をしているんだろうみたいな
視点を持つのも面白いかもしれません。

自分が満足しないで、
勝負ごとに勝っても
なんだかなぁ~って感じには
なりますしね

9月は世界アルツハイマー月間です。
記事がかけてよかったです。

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