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【短編短歌小説】「家に着くまでが」の教え染み付いて敢えて各停選び余韻に

暑苦しい。そう感じてハッと目が覚めた。そして、寝ぼけ眼のままエアコンのリモコンを手で探る。設定温度を18度まで下げ、風の強さは強風にした。万年金欠の俺にとってエアコン代は痛い出費だが、この夏の熱帯夜には敵いそうにない。冷水で顔を洗って歯を磨き、タバコを吸うためにベランダに出る。じっとりとぬるい湿った空気に嫌気がさす。次第にイライラは自分へと向かってくる。自分の惨めさに腹が立つ。俺には確かな才能がある。ただ、その才能は高校生の頃から眠ったままだ。軽音部の定期公演でナンバーガールのコピーをした時、あの時、俺は確かに生きてると感じた。音楽に生かされていると思った。だから高校を卒業してからすぐ上京し、音楽に没頭できる環境を整えた。フリーターなので毎日バイトをしているが、お金は全く貯まらない。家賃を払って楽器を買うだけで精一杯だ。ユーチューブに載せているボカロ曲はそれなりに再生数を稼げているが、ボカロPとしての活動による収入はほとんどない。25歳までには売れたいと思っているし、売れなかったら死ぬしかないとも思っている。それくらい本気で音楽と向かい合っている。今はもう24歳。リミットまであと1年だ。最後にやり残したことはやっぱりバンド活動だと思う。独りで音楽を作るのも楽しいが、孤独はやはり耐え難い。ギターは自分が弾くとして、それ以外のメンバーも全く当てがないわけではない。特にボーカリストに関しては少し前から気になっている人がいる。それにしても今日は暑すぎる。天井から熱気がガンガンと伝わってくる。アパートの最上階になんか住むんじゃなかった。そんなことを考えていると、タバコの火が指先まで達し、少し火傷をしてしまった。水が入ったバケツにタバコを捨て、俺は寒すぎる部屋に戻っていった。



大変なことが起きちゃった。本当に大変なことが起きちゃった。朝起きてツイッターを開いたら通知が一件きてて、その相手がまさかの綾瀬さん!?だった。綾瀬さんは私が尊敬するボカロPだ。一体何の要件だろうか。もしかして、私が勝手に綾瀬さんの曲のカバー動画をユーチューブに載せていたことが迷惑だったのだろうか。そう思って急いでメッセージを確認すると「あなたの歌声に惚れました。一度会って話をしませんか。」と短い文章が送られてきていた。何この中学生の告白みたいなメッセージ。あなたの歌声に惚れました!?一度会って話をしませんか!?いや、嬉しいよ、嬉しいけど、なんかちょっと怖いっていうか、不審っいうか。綾瀬さんがどんな人なのか全く知らないし。男性なのは知ってるけど、年齢も不詳だし。ただ、ただ何となく新しい人生が始まる気がするっていうか、少年漫画の第一話みたいっていうか、ずっと平坦な道を歩んできた私にとって、起承転結の転がやっとやってきたっていうか。とりあえず一旦深呼吸して落ち着こう。返信は放課後にすればいいよね。あ、ツイッターって既読付いちゃうんだっけ?いや、付かないっけ?あーもう、それは別にどっちでもいいや!それより今何時!?そう思って時計を見ると時刻は7時40分を過ぎようとしていた。私は急いで制服に着替えて自転車に飛び乗り、青すぎる空の下に続く一本の田舎道をただひたすらにまっすぐ走り抜けた。



今日は久しぶりに渋谷でライブがある。俺は今「0.5回目のスーサイド」というバンドをしている。ボーカルギターは俺が、ベースは秋津が担当している。ボカロPの活動はまだ続けているが、最近はバンド活動の方に力を注いでいる。ただ、今日はなんだか喉の調子が悪い。

「トローチあげる。ちょっと前に風邪ひいたときに病院で貰ったやつがカバンに入ってた。」
「ああ、ありがとう。」
「さっきソールドアウトしたらしいで。」
「ああ、そう。良かった。」
「まあ、対バン相手のファンがほとんどかもね。」
「それは言わない約束だろ。」

俺はトローチを舐めながらライブハウスの楽屋でしばらく待機していた。緊張はあまりしていない。ただ、胸の高鳴りも感じない。25歳を過ぎても売れなかったら死ぬと豪語していた俺ももうすぐ29歳になる。なのにバイトはまだ辞められない。これまで30歳を機に音楽活動を辞めていく先輩達の姿をずっと見てきた。自分もそろそろ限界なのかもしれない。数年前から音楽でもサブスクが導入されて、才能のあるアーティストは飽和状態になっている。俺の上位互換なんてそこら中に存在しているのだ。愛している、けど、音楽を続けるのは大変だ。時刻は6時15分を過ぎている。対バン相手のライブがそろそろ始まる時間だ。俺はツイッターで「もうすぐライブ始まります。頑張ります。」と呟いた。すると、すぐいいねが一つついた。通知欄をみると「朝霧」という名前が書かれている。アイコンはツチノコのイラストだ。ああ、懐かしい。変わってないな。そう思った。彼女は昔、俺のボカロ曲のカバー動画をユーチューブに載せていた。その歌声に惚れ込んだ俺は、会って話がしたいと伝え、遥々彼女の住む和歌山まで赴いた。が、結局彼女とバンドを組むことはなかった。

「あの子からいいね来たわ。」
「あの子?誰。」
「俺のボカロ曲のカバーを載せてた子。」
「ああ、昔、綾瀬が口説いてフラれた子か。」
「フラれてない。俺から誘って俺からフッたんだよ。」
「クズ男やん。」
「だってしょうがないだろ。会ってみたらまだ高校生だったんだから。」
「年齢くらい合う前に確認せぇよ。」
「女性に年齢聞くのは失礼っていうだろ。」   

あれは5年前のことだ。和歌山駅の改札を出て彼女と会った時、彼女は俺が想像していたよりも随分と若かった。駅前のカフェに入って、開口一番に年齢を尋ねると、17歳だと返ってきた。その時、俺は「この子はバンドに誘えない」そう思った。未来ある17歳の女の子を音楽の道に引きずり込むことはどうしてもできなかった。この世界の厳しさを痛感していたからこその判断だった。そんなことを思い出していると、再びツイッターの通知が鳴った。「今日ライブ来てます!楽しみです!」と朝霧からリプライが届いていた。ツイッターのプロフィールに移動すると、彼女は大学生をしていて、軽音サークルで活動してるようだった。

「秋津。あの子今日のライブ来てるって。」
「嘘やん。綾瀬が取り置きしたの?」
「いや、してない。秋津は?」
「私もしてないよ。え、もしかしたら、対バン相手見に来たんちゃうん?やっぱりあんたフラれとるやん。」
「フラれてない。フッたんだよ。」

俺はその時、衝動的にライブハウスのフロアに走って行った。100人ほどの人をかき分け、ようやく後ろの方で独りボーッと立っている朝霧を見つけた。

「ねえ、俺とバンドやろうよ。俺の曲歌ってよ。」

俺がそう声を張り上げると、彼女は目をまんまるにして、こっくりと頷いた。



僕はライブハウスを探して歩いていた。渋谷にあるO-EASTというライブハウスだ。ライブに行くのは初めてだった。大学生になって初めてバイトをして貰った給料でチケットを買った。数年前からナイティナイトというバンドにハマり、暇さえあればそのバンドの曲を聴きながら生活している。そしてついに今日、ナイティナイトのライブを生で見れる時がやって来たのだ。ただ、初めてのライブなので少し緊張している。事前にライブハウスのマナーは調べてきたので、ドリンク代の500円はポケットの中でギュッと握り締めている。ショルダーバッグの中には必要最低限のものを詰め込んで、大学で使ったパソコンなどは渋谷駅のコインロッカーの中に入れておいた。コインロッカーの場所は覚えておく自信がなかったので、写真でその辺りの風景を撮ってある。とにかくあらゆることに気を配り、人に迷惑をかけないように初ライブを楽しみたいと思っていた。整理番号は早めだったが、今日は最後列で見ることにした。モッシュやダイブがあったら困ると思ったからだ。ネットではナイティナイトのライブではモッシュやダイブはないと書かれていたが、何が起こるかは行ってみないと分からないものだ。コインロッカーから数分歩いてライブハウスの前に着くと、入場開始前なのにもうたくさん人が来ていた。年齢や性別は多様で、1人で来ている人もわりといたので少し安心した。多くの人がナイティナイトのグッズを身につけており、グッズを持ち合わせていない僕は何だか少し申し訳ない気持ちになった。その日も物販はあったが、一人暮らしを始めたばかりでお金がないのでグッズを買うのは諦めた。間も無く、ライブハウスが開場し、僕の順番が来て入場する。ドリンクと500円を交換し、予定通りフロアの右後方に位置取った。やがて、ライブが始まる。入場曲が流れてナイティナイトのメンバーが1人ずつステージに上がってくる。ドラム、キーボードに続いて、ベースの秋津さん、ギターの綾瀬さん、最後に、ギターボーカルの朝霧さんが入ってきた。すげー、本物だ。僕は初めて東京ドームにやってきた少年みたいな感想を呟いてしまった。そして、ついに演奏が始まった。想像以上の爆音で楽器が掻き鳴らされ、周囲の人は手をあげたり、拍手をしたり、肩を揺らしたり、縦ノリをしたりして楽しんでいる。僕も何となく周りに合わせて動いてみたりするものの、正解が分からず、自分の挙動が正しいのか不安になる。序盤は周りの人の動きばかりに意識が持っていかれて、思うように演奏を楽しめないでいた。しかし、中盤になってあることに気づく。僕の目の前に立っている高校生くらいの女の子がずっと微動だにせずにライブを鑑賞しているのだ。そして、時折グッズのタオルで顔を拭っている。肩が少し震えているので、おそらく汗ではなく涙を流しているのだろう。それを見て思った。僕は周りと動きを合わせるためにここに来たわけじゃない。大好きなバンドの演奏を、ナイティナイトの生演奏を聴きに来たのだ。だから今日は突っ立っているだけでもいいだろう。周りにノリが悪いと思われてもよしとしよう。そうして、普段から自分を客観視しがちな僕は、やっと主観でライブを楽しみだした。すると、どんどんと心が引き込まれていく。気づかぬ内に生演奏に酔いしれていく。脳内に響く朝霧さんの声。鼓動を強める秋津さんのベース。神経を伝う綾瀬さんのギター。そして、ライブが最高潮に達した時、脳内でバババッとホルモンが溢れ出し、気がつくと僕はこぶしを高く突き挙げていた。無意識の行動だった。演奏、照明、観客、そして僕、それら全てが一体となり、非日常的な空間が生まれた。ビヨンド・ディスクリプションという熟語はこんな時に使うのかもしれない。僕の頬には花にもやれない水が伝っていった。そんな幸せな時間はあっという間に過ぎ、僕は感動を抱きつつ帰路に着く。渋谷駅へ向かう途中、中華料理屋の前を通った時、チャイニーズガールが僕に向かって割引券の入ったティッシュを渡してきた。僕はそれを受け取ってタンタカタンと歩いていく。そして田園都市線のホームに向かう。僕の家は急行が止まる駅にある。ホームに着くと、すぐに中央林間行きの急行電車がやってきた。ドアが開く。そして、ドアが閉まる。僕は敢えて乗らず、その電車を見送った。

「家に着くまでが」の教え染み付いて敢えて各停選び余韻に

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