スポーツ思考から 「北京五輪を外交の場として利用すべし」
日本が北京五輪に閣僚を送ろうが送るまいが中国は痛くも痒くもないだろう。米国も日本が「外交的ボイコット」に追随しようがしまいが、痛くも痒くもないだろう。それなのに岸田首相は、「適切な時期に五輪、パラリンピックの趣旨や精神、我が国の外交の観点など様々な点を勘案して国益に照らして判断する」としてきた。適切な時期がクリスマスイブだとは。カソリックのバイデンにクリスマスプレゼントをしたつもりだろうか?
東京五輪の意味を様々に語る口はいくつもあるが、現実、オリンピックを開催する意味は、世界平和構築の場でしかない。スポーツだけのために命を紡いできたアスリートが政治も宗教も民族も人種もあらゆる差別を超えて頂点を目指す場に集まることが平和を象徴する。その祭りを世界をリードする政治家も讃え、祝うからこそ、そこに人類が協調して共生していく絵が描けるのだ。
中国が人権蹂躙の容疑者だとしても、北京市がオリンピック精神に基づいた平和の祭典を開くのであれば、その場に臨場することが平和への志向を象徴することになるであろう。米国が人種差別の容疑者でないと誰が断定できようか?五輪が求めるのは裁くことではなく、人間の咎を共に乗り越えることなのだ。スポーツの場、公平なルールのもとに競い合う世界、そしてそれは人間の限界への挑戦を表象する場でもあるからだ。
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