見出し画像

スポーツ思考から「オリンピックは政治の舞台 〜二つの中国問題〜」

1978年に体協に就職した私にとって、中国は中華人民共和国であり、
中華民国ではなかった。当時のスポーツ界はそれまで竹のカーテン
で仕切られていた大国の扉が開かれ始めると、こぞって中国との友
好を求めた。政治的な壁はスポーツが媒介となり越えていった。

若造の私には体協理事会やJOC委員会で発せられる中国の国際スポー
ツ界復帰が自明の理として入ってきた。私は当初総務部に配属され
たので、理事会に事務局として庶務係で参席するのが常だった。そ
れが後々、オリンピズムを思考する時の身に染みた知財となってい
る。

大陸の中国がスポーツ界に復帰するために日本のスポーツ界はそれ
なりの貢献をしたと思う。IOCや国際競技連盟に働きかけていた。
理事会の議論はほぼ中国礼賛に近いものであった。しかし、同時に
中華民国とのスポーツ交流も大切にしようとした。それが日本スポ
ーツ界の立場だった。

ここから先は

1,150字

¥ 100

サポートいただければ幸いです。いただいたサポートはクリエーターとしての活動費にさせていただきます。