ガザ紛争を考える〜オリンピック休戦の利用方法〜
パリ五輪のオリンピック休戦はイスラエルの政治を変えることはできなかった。ロシアの政治も変えることができなかったように。
10月17日イスラエルはハマスの最高指導者ヤヒヤ・シンワルがイスラエル軍によって殺害されたと発表した。昨年10月7日のハマス武装集団によるイスラエル襲撃では約1200人が殺害され、251人が人質に取られた。その首謀者とされたシンワルが殺害されたことで、ガザ紛争は一つの転換点を迎えているが、イスラエルとパレスチナの問題は根本的に混沌としている。
私は1978年にイスラエルに旅した。初めての海外旅行であった。山本書店主の山本七平率いる「イスラエルの旅」はギリシアからイスラエルに入り、最後はローマで終わった。私の卒論「ヘブライズムとヘレニズム」の言わばフィールドワークでもあった。
イスラエルの遺跡は何千年もの歴史をそのまま伝えていた。石と砂漠の文化はそのまま残る。その歴史の先端に生きるユダヤの民は生き生きと映った。そこからローマに入った時、ヨーロッパの歴史が「薄く」見えるほどだった。
山本の深いユダヤの知識に裏付けられた導きは旧約聖書時代から現代に生きるイスラエルの魂を紐解いて実感させてくれた。イスラエル人は旧約聖書の「約束の地」シオンに戻るもそれを拒否するアラブ諸国から攻撃され、それに対して戦い抜いたイスラエルの現在が、その時は英雄的に見えたものだ。当時のイスラエルはピカピカしていた。アテネからイスラエルに入り、空港からエルサレムに向かうバスの中で、底知れぬエネルギーを体に感じた。聖地のみなぎるパワーが大地から湧き上がるようだった。
1998年、フランスでサッカーのワールドカップが開催され、私はパリに飛んだ。パリに行く前にイスラエルに立ち寄った。二度目の聖地訪問であった。
この時の私にはスポーツでイスラエルとパレスチナを和する計画があった。1993年のオスロ合意でイスラエルとパレスチナ解放機構の相互承認から5年後が合意事項の実現目標だった。
イスラエルではその合意の実現に向けて和平プロセスの会議が世界のメディアを呼んで開かれており、私も参加した。アラファト議長に会ってスポーツ交流をトップダウンで実現する密かな目論見はうまくいかなかったが、イスラエルのオリンピック委員会事務総長に会って、イスラエル側のポジティブな意志を引き出すことまではできた。
あと一歩だった。偶然幸運にも現地で出会った英国人フィクサーを交渉役に立てるところまで行った。しかし、パレスチナオリンピック委員会は1993年に設立されていたが、実務的に機能せず、和平プロセスも2000年にキャンプデービット会談決裂により、オスロ合意が破綻し道が途絶えた。
この時、私は初めて訪問した時とは違うエルサレムを感じた。聖地からのエネルギーを感じることができなかった。2000年にこの合意が失効する予感のようなものがあったのかも知れない。エルサレムの城壁を歩くのだが、そこはとてもとても観光地であった。空港からのバスで知り合ったドイツ人の青年たちは卒業旅行にこの地を選んでいた。
いつしか私の脳裏からイスラエルは遠い存在になっていった。高度に発達した情報機関を有し、国家存続のために合理的な政治を行なっているのだろう。テロ組織からイスラエルを守ることに何の心配もないのだろう。そう思っていた。その間、イスラエルを想起するのはオリンピックの度にイスラエルオリンピック委員会主催で催される「追悼式」だけであった。1972年ミュンヘン五輪で起こったテロ事件の犠牲者を忍ぶものだ。パレスチナ武装組織「黒い九月」がミュンヘン五輪に参加していたイスラエル選手団を殺害した事件をイスラエルオリンピック委員会は忘れなかった。オリンピックが開催される度にこの記憶が私にも蘇る。
イスラエル最強神話が瓦解したのが、昨年10月。ハマスがイスラエルを攻撃し、虐殺やレイプなど残虐な行為を断行し、イスラエル人を人質にとった。ハマスという組織の性質が露呈したとともに信頼の高かったイスラエル情報機関の脆弱性も露呈した。この事態にイスラエル首相ネタニヤフは「復讐」とういう戦略で国民の批判を交わす戦略に出た。ハマス急襲の情報を把握していなかった政権に対して国民の批判が強くあった。イスラエルの反撃は執拗で、日々伝えられる国際報道では一般のパレスチナの人々が巻き込まれて死傷している悲惨な状態が世界に伝わり、イスラエルに同情的であった世論はパレスチナへの同情に変わってきた。
イスラエルはハマス撲滅作戦からヒズボラやヨルダン、イランまでやっつけようと必死である。ハマスはかつてのPLOと同様に「ユダヤ人撲滅」を第一目標にしている。とすればそれはイスラエルが対抗しなければならないというのは道理である。ネタニヤフ首相やバイデン大統領が「イスラエルの自衛」というのがそれに当たる。しかし、一歩引いてずっと国際報道を見続けると、ネタニヤフのやっていることはハマスの撲滅というよりパレスチナ人の一掃にも見えてくる。
元外交官で作家の佐藤優に言わせれば、それはハマスが許可して撮影させた映像だけが世界を駆け巡っているからであるのだが、それでもやはり国連施設や教育施設、そして医療機関が爆撃され、子どもたちが血まみれになっていることは事実だろう。その施設にハマスが基地を設けていたとしてもそこを爆撃すれば悲惨な結果がやってくるのは日を見るよりもあきらだ。その意味でハマスの広報は成功している。
ネタニヤフは「爆撃前に一般人は逃げるように通告している」と言うが、どこに逃げろというのだ。金持ちの人々は何とか交通手段や宿舎を手配することもできるかも知れないが、多くの民衆にとってその通告は死刑判決に等しいだろう。
私はどちらの味方でもない。殺戮が正義だという思想と行動に異議申し立てをしているのである。日本のメディアがハマスの残虐行為を忘却してひたすらパレスチナの惨状を描くのは問題の本質を不透明にする。しかし一方でイスラエル政権が「復讐」の思想で行動していることは批判されるべきことだ。
イスラエルもパレスチナも相互にその「敵」の属性故の虐殺を行なっている。自分が生存するために他者を殺害する。モーセの十戒には「殺すなかれ」がある。ユダヤ教もイスラム教も守るべき掟である。にもかかわらずイスラエルとパレスチナは殺し続ける。
この思想を超越するためにパリオリンピック休戦を使うべきだった。と今更ながら思うのである。
五輪休戦に賛同しないオリンピック委員会は五輪への参加資格を剥奪されるという一条をオリンピック憲章に入れるのだ。
パリ五輪に参加したイスラエル選手団もパレスチナ選手団も互いに五輪休戦への賛同を表明しなければ参加できない。それはロシアもウクライナも同様である。もしイスラエルオリンピック委員会が「五輪休戦」を表明しなければ、パリ五輪に選手団を派遣できない。彼らが五輪休戦を支持するとイスラエル政府が同国オリンピック委員会に干渉する行為があったとする。それでも「五輪休戦」表明を曲げず五輪参加を主張することができるとすれば、それはイスラエル政権への圧力になるだろう。
同様にロシアオリンピック委員会が「五輪休戦」表明をすれば、ロシアとして参加できることになれば、彼らは必死にプーチンを説得しただろう。そして、プーチンは見せかけだけでも五輪休戦に応じ、パリ五輪開催7日間からパリパラリンピック閉会7日後までの休戦期間を守っただろう。
これがオリンピズムの出来る世界平和構築の一つの形である。
国と国内オリンピック委員会の二律背反を利用して、せめて五輪休戦が実現できれば、停戦協定への外交に道を開くことができただろう。
オリンピックが個人と個人の競争であり、国と国の競争でないと主張しつつ、国旗と国歌を有した選手団が五輪に参加するという矛盾は、五輪によって戦争を休止する道を探るための究極的方便なのである。その意味で五輪は世界戦争回避のリーサルウィポンとなれるのである。
(敬称略)
2024年10月19日
明日香 羊
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編集好奇
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ガザ出身で、イスラエルの病院で働く初のパレスチナ人医師となったイゼルディン・アブラエーシュ氏の半生に迫るドキュメンタリー「私は憎まない」を見た。テレビの報道で彼の来日を知り、インタビューも拝見したが、イスラエルに尽くす医師であるにもかかわらずイスラエル軍によって娘三人を殺害された彼が伝えたいメッセージが「憎まない」とういうのである。自分がそうなったら木刀を持って敵に突っ込むかもしれないと思うほどの悲惨な映像だった。しかしそうであれば決して終わることのない「復讐」の連鎖。それを断つのが何か?「汝の敵を愛せよ!」なのだろう。その後、パレスチナ問題を綴る映画を三本見た。どれも苦しい映像の中で、心に残るのは、2021年のガザ紛争記録の映画であった。「忘れない、パレスチナの子ども」。殺された兄弟を一生懸命笑顔で語ろうとする子どもの目から涙が溢れ「もう語れない」というシーン。亡くなった子どもたちの何人かがキティのグッズを愛用していたこと。みんなただただ楽しく生きたかっただけなのだ。そこに爆撃はいらない。
「2024パリ大会 徹底、実践五輪批判」日刊ゲンダイ連載、全18話公開中です。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/4728/495
Forbes Japanで開会式について五輪アナリスト春日良一が分析。詩的スポーツ思考。
https://forbesjapan.com/articles/detail/72709
YouTube Channel「春日良一の哲学するスポーツ」は下記から
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