嫌い!
人に嫌い!と言ったのは一体いつぶりなのだろう。
タイトルを付けて、改めて自分の未熟さを感じたわけだが、夫に対して、嫌い!と言わずにいれなかったそのへんをもう少し考えたい。
簡単に言えば「幼さ」なのだろうが、昨夜はこれからも暮らしていくだろう相手を、心底、何だこの人!と思ったのだから仕方ない。
夫がそんなに破茶滅茶な人間なのかといえば、そうではない。
けれど、それこそ育った環境がそうさせたのではと思うほど、私からの口出し手出しに対する拒否感を、それはもうしつこく、こちらが分かったからもう止めてくれと言っても釘を差してきたのだ。
自身の真剣さを伝えるために、しつこさ承知で言うと宣言して、それはもうしつこかった。
しつこい人は嫌いなのだ。
ましてや相手が嫌がっていると分かってやるなんて、私としてはとんでもなかった。夫がこんな性格なのは、義理両親の育て方なのではと恨みかけた。
しかし。それだけでは子どもの喧嘩なので、嫌な思いもしたが、彼と家族になった以上通るべき道なのだとも思いながら眠りについた。
今回は夫だったが、私とて、彼になんだコイツ!と思われているに違いない。
前回の結婚生活では、相手への、なんだコイツ!を、なぜか自分の至らなさに結びつけてしまったが、今回は違う…という意味では健全な気がする。
不快にさせているのはわかるけれど、自分はこうなのだ!という夫の開き直りぶりはアッパレであったし、本当にどうしようもないことなのだろうなと、不快になりながらも頭の隅っこで理解していた。
環境をガラリと変えるには、ぶつかるしかないというのが彼の持論らしい。
そうとも限らないというのが私の考えだが、どうせ一致することのない互いの意見。嫌い!で返すのはお粗末だが、とりあえずぶつけあった…というシンプルな結果だ。
高知に移り住んで、三週間。
そろそろ興奮や緊張の糸が緩んで、疲れが出てくる頃。
家族三人、それぞれが新しい動きで暮らし始めて…の夜の出来事。
大きな節目とて、こんなにぶつからない夫婦も沢山あるだろう。
前はそんな在り方を、見習うべき姿と思っていた。
けれど今は、どちらが善い悪いではなくて
ぶつかっても良いから気持ちを表出したいのか
なるべく摩擦なく、サラリと受け流したいのか
生き方の違いなのだと思う。
もしかしたら、新たな地で小学生になった息子への親心が、私と夫のそれぞれの気持ちをかき乱していたのかもしれない。
とにかく、しつこく言った夫は
「言えて良かった!」と清々しかった。
私も、別に今は嫌いではない。
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