「今だけ」というおまじない
6歳の息子と共に、神奈川に住む姉家族と東京で遊んだ。
春には高知に移り住む我が家。
ひさしぶり、そしてしばらくお別れとなるねという一日。
息子は従兄弟に会えることが嬉しくてたまらない様子。それは本当に結構なことだ。
だが、なぜだかそんな時は、母への当りが横柄になる。わがまま放題というか、お手伝いのバアやのような扱いだ。
バアやへの言葉たちを浴びながら、こちらもそれは自分でおやりと返すことが増える。
今日はさらに、そんな姿も微笑ましい…となれるコンディションではなかったので、埼玉に帰ってきた時には限界を迎えていた。
器が小さいといえばそれまでだけど。
祝日も朝から晩まで一緒、平日も2時のお迎え後ずっと二人で過ごしていた疲れもあったのだと思う。
移動中に、姉にボソッと
「世話焼き疲れた…」というと
「今だけ今だけ。もうすぐ楽になるよ。ほら(15歳の息子を指し)もう世話を焼くことはないよ。」と姉。
彼女は私が子どもを産んでから、ずっとこの言葉をおまじないのように私に伝えてきた。
そして申し訳ないけれど、一度もその言葉に強く励まされたことはない。
ちらっと爽やかな風が吹くような、吹かないような、逆にもう何も言えなくなるような。
そう、それを言われるともう言葉を続けられないから、苦しく感じていたんだろう。
ものすごい曲がった見方をすれば、あぁもう愚痴は聞きたくないのかな、とも感じる。
そうだとしたら効果テキメンだ。
世話好きの姉は、人を励ます傾向がある。
そうだね、わかるよ、でも大丈夫云々。
ではどんな反応を私は求めているのだろう。
「あぁ、そうなんだね。確かにそれはそうなるだろうね。」なんてところだろうか。
姉妹だからって、良き相談相手になるとは限らない。あちらもそうだろう。
でも、ボヤかずにはいられない時が確かにある。
気持ちよくボヤく…というのは案外難しいことなんだなぁ。
というわけでnoteにボヤいている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?